鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

隠退牧師の徒然記 <13>

隠退牧師の徒然記<13>(2011年6月1日〜) 2011年10月28日 「日本語で聖書を読む会の皆さん」 聖書の言葉 信者たちは皆一つになって、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられ…

隠退牧師の徒然記 <12>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<12> 2011年10月26日 「『スペイン滞在記』の発行」 聖書の言葉 そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべて事をはじめから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのが良いと思いました。(…

隠退牧師の徒然記 <11>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<11> 2011年10月24日 「祈りの場を求めて」 聖書の言葉 安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。(使徒言行録16章13節…

隠退牧師の徒然記 <10>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<10> 2011年10月21日 「天にあるふるさと」(3) 聖書の言葉 そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。 (創世記49章31節) 毎年、8月のお…

隠退牧師の徒然記 <9>

隠退牧師の徒然記<9>(2011年6月1日〜) 2011年10月19日 「天にあるふるさと」(2) 聖書の言葉 間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。(創世記49章29節) 鈴木家の墓前の横に墓…

隠退牧師の徒然記 <8>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<8> 2011年10月17日 「天にあるふるさと」 聖書の言葉 わたしたちの本国は天にあります。 (フィリピの信徒への手紙3章20節) 毎年、日本で言う「お盆」時期になると鈴木家の墓参に行っている。今年もさる8月13日に行…

隠退牧師の徒然記 <7>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<7> 2011年10月14日「満足を遠ざける」 聖書の言葉 見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた。(創世記3章6節) 久しぶりに三女の百合子そして友達と共に江の島を訪ねた…

隠退牧師の徒然記 <6>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜) <6> 2011年10月12日 「生きる者になる」 聖書の言葉 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった。(創世記2章7節) スペインから帰って…

隠退牧師の徒然記 <5>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<5> 2011年10月10日「光あれ」 聖書の言葉 神は言われた。「光あれ。」(創世記1章3節) 「やっぱり我が家はいいね」と言ったのは、スペインから帰って来た時である。2011年5月18日午前7時50分、スペインから帰国し、…

隠退牧師の徒然記 <4>

隠退牧師の徒然記 (2011年6月1日〜) <4> 2011年10月7日「今日一日を見つめつつ」 聖書の言葉 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。 (マタイによる福音書5章34節) ブログの再再再会で…

隠退牧師の徒然記 <3>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<3> 2011年10月5日「礼拝を導かれ」 聖書の言葉 まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。(ヨハネによる福音書4章23節) 2010年9月26日、横浜本牧教会代務者最後の礼拝…

隠退牧師の徒然記 <2>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<2> 2011年10月3日「御言葉に導かれ」 聖書の言葉 あなたの御言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯。 (詩編119編105節) ついに隠退牧師になった。昨年、2010年3月をもって30年間6ヶ月の牧会を担った大塚…

隠退牧師の徒然記 <1>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<1> 2011年10月1日 「隠退牧師となる」 聖書の言葉 エリアはそこをたち、十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリアはそのそばを通り…