鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <5>

 

 隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<5>
2011年10月10日「光あれ」
 

 聖書の言葉
 神は言われた。「光あれ。」(創世記1章3節)


「やっぱり我が家はいいね」と言ったのは、スペインから帰って来た時である。2011年5月18日午前7時50分、スペインから帰国し、成田飛行場に着いた。百合子が迎えに来てくれていた。バルセロナ日本語で聖書を読む会から気仙沼第一バプテスト教会への災害お見舞いとしての献金を預かってきたので、ユーロから円に両替をしたりして我が家に向かった。2時間ほどで我が家に着いた。45日間も留守であった我が家の庭は、草花が生い茂っていたが、懐かしい思いで庭の隅々を見まわしたのである。玄関に入ったとき、「やっぱり我が家はいいね」という言葉が出てしまう。住み慣れた空気に触れたからであろう。緊張しつつ空の旅をしたため、安堵の思いもあるのだろう。


45日間バルセロナに滞在し、帰国した時、
草ぼうぼうの庭を見つめる



庭の手入れをするスミさん


草ぼうぼうの庭は、その後、痛い腰をかばいながら連れ合いのスミさんが整理した。庭の復興を果たしたのである。今日は8月15日、日本の敗戦記念日である。広島や長崎に原子爆弾が投下され、東京をはじめ日本列島は空襲により灰燼と化して行く。沖縄の悲惨な爪あとが残される。もう戦うことはできないと敗戦を宣言する。人々は無残な戦争の爪あとの前に佇んだが、敗戦後66年、日本の国は復興した。戦争などなかったかのように、日々の生活が営まれている。しかし、今は3月11日に発生した東北関東大震災の渦中にある。死者、不明者3万人、家を失い、故郷を後にした人々、福島原発事故による混乱が続いている。復興はいつになるのか。むしろ、今は混沌とした状況なのである。



スペイン・マドリッド東北関東大震災復興協力コンサートが開催され、
羊子がピアノの演奏する。案内のポスター。



この混沌とした、何が何だかさっぱり分からない状況に、神様はみ言葉をくださっているのである、「光あれ」と。この言葉は神様が地球に与えた最初の言葉である。聖書によれば、地球の最初は何が何だかさっぱり分からなかった。もっとも誰も見たわけではない。聖書の記者が信仰を持って記しているのである。何が何だかさっぱり分からない状況に、神様が「光あれ」と言われると、明るくなったのである。混沌は闇であり、何も見えない。光が差し込むと見えるようになる。神様は次々に言葉を与え、形あるものが存在するようになるのである。創世記のはじめに天地創造の由来が記されている。これをもって地球の始まりとは言わないが、信仰を持って受け止めるならば、この天地創造は力と勇気を与えてくれる。何が何だかさっぱり分からない状況だからこそ、神様がみ言葉を与え、形あるもの、復興を導かれるのである。この状況に「光あれ」と神様が言われ続けていることを忘れまい。
バルセロナに住む羊子の家は6階建てであり、その最上階に住んでいるので、眺めが良い。目線の高さでサグラダ・ファミリアを見つめることができる。スペインは朝7時頃に陽が昇る。陽が沈むのは午後10時前頃である。羊子の家はサグラダ・ファミリアの西側にあり、つまり東を見つめることになる。連れ合いのスミさんは、まだ陽が昇らない東側を見つめている。やがて東の空がうっすらと明るくなる。サグラダ・ファミリアが薄暗さの中に浮かび上がってくる。赤い太陽が小さく見える。そして輝きつつ、見る間に陽が昇って行くのである。光を見る、この感動は人間の誰もが持ち、光との出会いを喜ぶのである。




バルセロナ滞在中、日の出を見つめるスミさんが
感動のシャッターを切る。サグラダ・ファミリアで工事している人達も
しばし日の出を感動のうちに見つめている。



私もイスラエル旅行でシナイ山に登り、また富士山には2度も登ったが、いわゆるご来光を見た時の感動を忘れない。その時、思わず讃美の歌を口ずさむ。ご来光の瞬間、祈りとも讃美とも、いろいろな声があちらこちらから飛び交うのである。シナイ山ではご来光後、私が担当して礼拝をツアーの皆さんと共にささげたのであった。富士山では、一度目は同じ教会の仲間であったので、ご来光を浴びながら、賛美の時をもったのであった。暗闇であり、何が何だかさっぱり分からない状況の中に、光が差し込んでくる。シナイ山では朝日の光の中に、赤く染まった山並みが続いていた。
光をくださる神様なのだ、この現実に。