鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <57>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <57>
2011年5月15日「バルセロナ最終礼拝」
 


今日は日曜日、礼拝をささげる日である。もはや帰国するので、羊子が奏楽奉仕をしているカトリック教会のミサに出席する予定であったが、昨日の教会コンサートの前に行われたミサに出席したので、今日は出席しないことにした。昨日のミサが終わり、神父さんを始め教会の皆さんにお別れをしてきたからである。今日は午後4時30分からバルセロナ日本語で聖書を読む会の礼拝が羊子の家で開催された。
 それまでの時間、もはや帰国が迫っており、45日間の生活の整理や帰国の準備をした。日本から来る時は、お土産の日本の食べ物関係で、結構重くなっていた。久しぶりに日本の食べ物を羊子にもって行ってあげたいとの思いである。帰りはその関係の荷物が無いので軽くなると思っていた。しかし、こちらからのお土産関係で、またまた重くなり、三つの旅行カバンに振り分けるのが大変である。とにかく20kgの制限があるので、秤に載せては入れたり出したりして調整するであった。
 


バルセロナ日本語で聖書を読む会、礼拝。羊子の家で。


そうこうしているうちに礼拝の時間となった。バルセロナ日本語で聖書を読む会の中心メンバーのSYさんと娘さんのミズキさん、そして友人のユリコさん、そして私たち家族の7人で礼拝をささげたのである。ユリコさんは父上が牧師である。このバルセロナ日本語で聖書を読む会の礼拝説教をされたこともある方である。司会はSYさん、奏楽は羊子、説教は私、そして礼拝の感謝祈祷を星子がささげた。礼拝が終わり、屋上でサグラダ・ファミリアを背景に記念写真を写す。その後、お茶をいただきながら歓談したのであった。スミさんが日本の「おはぎ」もどきを作ったので、皆さんは珍しく、また懐かしく食べておられた。また大豆の煮込みも美味しく食べておられた。「おはぎ」の煮豆も大豆もマドリッドのヨシエさんからいただいてきたものである。マドリッドにもバルセロナにも「東京屋」と言う店があり、そこで日本の食材が売られていると言うことである。




礼拝後、お茶をいただきつつ歓談



スミさんが作った「おはぎ」もどき。
あまり材料もなく



前回、4月16日に羊子の家で礼拝をささげたとき、日本の災害を覚えてお祈りしているのであるが、バルセロナ日本語で聖書を読む会からも献金をささげることが決められ、300ユーロをささげることにした。どこに差し上げるかを協議し、SYさんのお知り合いの教会、気仙沼第一聖書教会に献金することにした。銀行送金であると、随分と手数料が取られるので、献金をお預かりして、私達が帰国して日本で送金することにしたのである。今日はSYさんからその献金をお預かりした。
 


羊子のマンションの屋上で。サグラダ・ファミリアを背景に


バルセロナ日本語で聖書を読む会は今年で20周年を迎えている。秋には20周年記念誌を発行されると言うことで、私たち家族も原稿を依頼され、それぞれお祝いを記したのである。そのお祝いの原稿については4月28日の日記に記している。月に一度、バルセロナに在住する日本人が共に礼拝をささげること、貴い信仰の歩みである。しかし、バルセロナに定住される日本人のプロテスタントの信者はそう多くはいない。礼拝はひとときは多いようであったが、最近は2、3名であり、少し多くても4、5名であると言われる。少人数ながら礼拝が続けられるのは神様のお導きであるが、やはり中心になって働かれる方がおられるからである。その意味ではSYさんのお働きには敬服している。そのSYさんも、人数が少ないので、もうやめてしまおうかと思われることもあるという。しかし、そのたびに神様のお導きいただく。
 マドリッド日本語で聖書を読む会の中心になって担っておられるヨシエさんとフェルナンドご夫妻も、少人数は気にせず、とにかく集会を続けることを祈られている。少人数ながら、それぞれの土地で信仰に生きる人々が一堂に会したことがあると言われる。そのことについては詳しく伺わなかったので記すことができないが、信仰者が共に集まり祈り合うことは大切なことである。私達の六浦谷間の集会も少人数ながら礼拝が導かれていること、バルセロナマドリッドで礼拝をささげておられる皆さんを示され、励まされたのである。日本語で聖書を読む会を開いている皆さんとの出会いを深く感謝している。