鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <10>

 

   隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<10>
   2011年10月21日  「天にあるふるさと」(3) 


聖書の言葉
そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。
(創世記49章31節)

 
 毎年、8月のお盆の頃に墓参をしているが、仏教のお彼岸の時期に行くこともある。墓は横須賀市安針塚にあるが、鈴木家の先祖と私の両親、兄、姉が埋葬されている。キリスト教の信仰を持っているにしても、先祖の墓はつながりがあり、墓の責任は持たなければならないのである。この寺と現在の鈴木家との関係については前記している。両親が浄土真宗の檀徒であり、両親が居る頃、鈴木家はこの寺の檀家になっている。しかし、両親が居ない今、どういう関係なのか。寺を新築すると言うので説明会が開催され、出席した。その時、和尚さんに鈴木家の関係を聞いたのである。檀徒が居なくても墓がある以上、墓檀家ということであった。寺の中にある墓の檀家として義務を果たさなければならないのである。
 寺にしても墓の管理が大変であることについて、以前テレビで報告されていた。親の代から子の時代になり、遠方に住むことで改葬するということである。寺の墓はあちらこちら空くようになる。管理収入もままならぬ状況になるのである。あるいは子供の代になると、寺には関係を持たなくなり、今まで檀家であった関係が無くなってしまうのである。寺の維持費がすくなくなって行くのである。

 


60年間、鈴木家の住まいであった家。
2005年に解体し、2006年に新築をする。



今は懐かしい思い出である。私が成長した家であるので。



数年前に家を新築した。今までの家は60年も経ているからである。新築した時、今まで仏壇があったが、仏壇というものは作らなかった。その代わりガラス戸棚には両親、美喜子、光政の写真を飾っている。そこは仏壇ではないが、写真があるので、なんとなくそこに存在を感じるのである。連れ合いのスミさんは、庭で取れた野菜を写真の前に置いている。御供えというものではないが、写真の皆さんに見てもらいたいという思いからである。
 墓檀家なので墓参時期になると出掛けるのであるが、墓参とセットになっているのが昼食である。寺からそんなに離れていない所に「釜めし」処があり、必ず寄るのである。むしろそちらが目的であったりして。姉美喜子の埋葬を清水ヶ丘教会の島田勝彦牧師により寺の墓地で行ったことは前記した。埋葬が終わり、島田牧師と姉の清子と朝子、そして私達夫婦でこの「釜めし」処で食事をしたのである。その時、私がビールを飲むと言ったので、姉たちと連れ合いから痛く叱られた。私が車を運転していたからである。その頃は今ほど酒気運転は厳しくなかったことは確かであるが、やはり危険であることは確かである。50代半ばの男が女性たちに叱られているのを、島田牧師は目を細めて笑いながら見ていたという訳である。この「釜めし」処に来ると、その時のことが思い出され、思わず自分でも苦笑してしまうのである。
 今回の墓参でもこの「釜めし」処に寄った。この店は道路に面しているが、付近には食事処が一軒もなく、民家すらまばらである。ポツンと存在している「釜めし」処であるのに、客が絶えない。味が良いのであろう。もはや昼時は過ぎていたので、すぐに席に座ることができた。なかなか繁盛する店で、混んでいるときは、しばらく待つこともある。釜めしも美味しいが豆腐サラダ、焼きとりも美味しくいただける。百合子が墓参や「釜めし」処の写真を携帯で写し、スペイン・バルセロナに居る羊子に送った。羊子も何回か来たことがあり、羨ましがっていた。実は昨年の8月に羊子は帰国している。その頃の私は横浜本牧教会の代務者を担っていた。この教会は、8月になると毎年のように伝道集会的サマーコンサートを開催している。丁度、羊子が帰国するのでピアノの演奏会を開催することになったのである。羊子が帰国したので、墓参に行ったのであるが、残念ながらその日は「釜めし」処がお休みであった。それで三崎まで足を伸ばし、美味しいマグロの定食をいただいたのである。従って、昨年の墓参では羊子は「釜めし」処に来ていないので羨ましがっていたというわけ。




2011年8月、横浜本牧教会で開催されたサマーコンサート。


 
ピアノの演奏をする。