鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <2>

 

 隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<2>
 2011年10月3日「御言葉に導かれ」
 
聖書の言葉
あなたの御言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯。
詩編119編105節)


ついに隠退牧師になった。昨年、2010年3月をもって30年間6ヶ月の牧会を担った大塚平安教会を退任した。4月からは、しばらくはのんびりと過ごしたいとの思いがあったが、横浜本牧教会の代務者を担うことになった。その横浜本牧教会には、10月から横須賀上町教会の森田裕明牧師が就任するので、それまでの代務者なのである。彼は横須賀上町教会で18年間、教会の牧師と幼稚園の園長を担った。その横須賀上町教会に彼を紹介したのは私である。北海道の教会で4年間牧師を務めていたが、その教会には幼稚園があるものの直接関わらなかった。幼稚園教諭の資格をもつ彼であり、牧師と共にキリスト教幼児教育に携わることは、彼の使命であると思っていたとき、横須賀上町教会の牧師、園長が浮上したのである。そして、今日まで教会と幼稚園を担ってきた。どうしても教勢が上がらない教会、常に少人数の園児の幼稚園であるが、彼はよくも18年間も働き続けたと思う。横浜本牧教会転任のことは、私自身喜んだのである。今度は大きな教会、園児多数の幼稚園である。18年間の務めは新しい教会と幼稚園で力強い基となるだろう。森田裕明牧師は私から洗礼を受け、献身して牧師になったのである。弟子であるとは、周囲の皆さんがそのように思っているし、彼もまた私の愛弟子と思っているようだ。その意味でも彼の新しい牧会を喜び、祈っているのである。




2008年頃の大塚平安教会


横須賀上町教会、現在のたたずまい



横浜本牧教会・園舎
たたずまいの写真が無いのが残念



私が横浜本牧教会の代務者を引き受けたのは、10月から森田裕明牧師が就任するので、彼のためにも留守番役としての意味があった。教会の皆さんは森田牧師が私の弟子であるということで、大変喜んでくれたのである。しかし、今は彼の牧師として、園長としての働きを喜んでくれている。
9月まで代務者を担ったが、並行して昨年の9月までは今まで担っていた綾瀬ホームとさがみ野ホームの嘱託牧師は続けていた。大塚平安教会の後任牧師も10月からの就任であり、それまで引き続き両ホームの嘱託牧師を担ったのである。4月からは、もはや横浜市金沢区六浦の自宅に住むようになり、綾瀬まで毎週車で1時間の距離を通っていたのである。そのため、綾瀬ホームは木曜日、さがみ野ホームは金曜日であった礼拝を金曜日にまとめ、順次行うようにしてもらった。さらに10月までは学校法人大塚平安学園の理事長を担っていた。大塚平安教会の後任牧師が理事長に就任することになっており、それまで担うことにしたのである。それから日本基督教団の総会書記も10月まで担うことであった。10月26日から28日まで、池袋のホテル・メトロポリタンで開催された教団総会で任を下りることになったのである。4期8年間の書記を務めたのであった。教団書記を退任したことで、すべての職務から解放されたのである。八王子医療刑務所、神奈川医療少年院は3月をもって退任している。
こうして10月からは無任所教師になった。無任所教師とは、どこの教会にも所属しない牧師のことである。もしかしたらどこかの教会から招聘があるかも知れないとの思いがあり、隠退せずに無任所教師でいることにしたのである。横須賀上町教会は森田裕明牧師が退任したので、その後は代務者として金子信一牧師が湯河原教会を牧会しながら担うことになった。金子牧師は湯河原教会が中心なので、月の第二日曜日しか礼拝を担当出来ない。従って、他の主日礼拝は他の牧師に依頼することになり、私が第一日曜日の礼拝を担当するようになった。
4月4日から5月18日までの45日間、スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動している娘の羊子のもとに行ったのは、どこからも招聘が無かったからでもある。招聘はあった。しかし、六浦の家から動こうとしないので、どこの教会も条件が合わなかったということである。スペインから帰って来てから、いよいよ隠退することを決め、6月1日付で隠退届を提出したのである。隠退した今、徒然の生活を記すことで、これまでの人生の総括としたいと思っている。とはいえ、徒然の生活は、本当に飽きるほど何もない。今まで手帳は真っ黒になるくらい予定が入っていたが、今は真っ白な手帳なのである。