鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<236>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<236>
2014年3月4日「畏れ多い場所」


聖書の言葉
ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」そして、おそれおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
(創世記28章16-17節)



連れ合いのスミさんと共に始めた六浦谷間の集会としての礼拝が100回を迎えた。3月2日の礼拝をもって節目を迎えたのであるが、たまたま我が家の子供達も出席した。六浦谷間の集会を始めたのは2010年11月28日からである。前任の大塚平安教会を退任したのは2010年3月であった。退任後は他の教会に赴任することはなく、のんびりと過ごすと思っていた。ところが退任の二ヶ月前くらいに、横浜本牧教会の代務者を務めることが決まってしまうのである。4月より9月までの半年間であると言うので引き受けたのであった。責任上引き受けざるをえなかったのである。その横浜本牧教会には横須賀上町教会で牧会していた森田裕明牧師が就任することになっている。彼は大塚平安教会の出身であり、私とはいわば師弟の関係である。本来4月から就任するのであるが、今までの牧会上、4月の就任は難しいのである。それで彼が10月に就任するまでの繋ぎの牧師と言うわけであるが、そういう意味で責任上と言うことになる。私にとっても大塚平安教会を退任して所在なく過ごすより、代務者として過ごすことは良い選択であると示されたのであった。実際、半年間の横浜本牧教会の代務者としての歩みは祝福の歩みであったと示されている。また新しい兄弟姉妹とのお交わりが導かれたからである。
 半年間は瞬く間に過ぎたのであるが、教会の代務者としての務めと共に、附属の早苗幼稚園の園長をも担ったので、前任の大塚平安教会時代と同じような日々となる。わずか半年であったが教会の皆さんからも幼稚園の皆さんからも、大きなお恵みを与えられて退任したのであった。さて、10月からはどうするかと言うことである。在任中も我々が退任したらどこの教会に出席するか、いつも連れ合いのスミさんと話し合っていたことである。退任後はとりあえず私達の出身教会に挨拶の意味で出席する。私の出身は横浜の清水ヶ丘教会であり、スミさんの出身は高輪教会である。それらの教会に順次出席しているうちにも、大塚平安教会や横浜本牧教会の新しい牧師の就任式に出席することになる。大塚平安教会も後任牧師は10月からと言うことで、それまで代務者であったのである。就任式は日曜日の午後であり、そのため午前中のそれぞれの礼拝に出席したのである。挨拶の意味で、お祝いの意味でそれぞれの教会に出席していたが、さてこれからどうしようかと言うことになる。
 そんなとき、示されたことは説教はすでに準備されていると言うことである。大塚平安教会を退任しても横浜本牧教会の代務者として説教を担当することになる、そして10月からはどこの教会にも所属しないが、またどこの教会で説教すると言うことではないが、今までの習慣のように、土曜日には説教ができあがっているのである。説教をブログで公開するようになったのは2010年9月5日からである。まだ横浜本牧教会の代務者であったが、説教を公開するようになる。この説教の公開が、10月からどこの教会でも講壇に立つ予定がなくても、日曜日の礼拝説教として公開するようになったのである。説教を作成していなかったら六浦谷間の集会は始まらなかったであろう。折角、用意された説教があるのだから、自宅で礼拝しましょうと言うことになり、2010年11月28日の礼拝から自宅でささげるようになったのである。
 2010年11月28日から始まって2014年3月2日をもって第100回を迎える。始めてから毎週礼拝をささげているなら170回くらいになっているはずである。しかし、不在があり、他の教会に招かれたりしているので、約70回は他の場所での礼拝であったと言うことである。2011年4月から二ヶ月間はバルセロナであり、更に2012年9月からも再び二ヶ月間バルセロナであった。娘の羊子がピアノの演奏活動をしているので訪問したのである。羊子の家で六浦谷間の集会バルセロナ礼拝としてささげている。そして2013年3月からはマレーシア・クアラルンプールのボランティア牧師として三ヶ月間赴いている。これらの他に毎月一回は横須賀上町教会、隔月に三崎教会の礼拝説教を担当している。他にお招きをいただいた教会は、青山教会、大塚平安教会、横浜本牧教会、薬円台教会、清水ヶ丘教会等である。
 原則連れ合いのスミさんと二人だけの礼拝であるが、時には知人や我が家の子供達も出席している。本来、教会は宣教が中心であり、世の人々へ救いを宣べ伝えることである。そうであると六浦谷間の集会はその使命を果たしていないことになる。しかし、信者であっても教会に出席できない人もいる。近くの追浜にお住まいである大塚平安教会員の小澤八重子さんがこの集会に出席されることに大きな意義があるのである。今まで座間市立野台にお住まいであったが、ご高齢になり娘さんのお宅で過ごすようになる。大塚平安教会には通えないのである。六浦谷間の集会が存続しているということ、何の意義を見だす必要もなく、大切なことであると思っている。100回目の礼拝をささげていることを示されている。加齢と共に説教もまとまらなくなり、語るに精彩がなくなっていくのであるが。80歳になっても続ける…?



始めから週報を発行したのではないので、週報は83号である。



週報には100回目の礼拝報告をしている。
裏面にはマレーシア・クアラルンプール滞在記を記している。