鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<237>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<237>
2014年3月17日「体は、一つの部分ではなく」



聖書の言葉
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
(コリントの信徒への手紙12章12-13節)




連れ合いのスミさんが体調を悪くして、入院し手術したことについては2月25日の徒然記で記している。胆管炎と言うことで、胆管にある石を取り除いたのである。1月27日に入院し、2月6日に手術が行われ、2月17日に退院したのである。しかし、胆のうの中に石があり、そのため胆のうを切除することになっている。一ヶ月くらいか、それ以上後になると言うことであった。ところが3月7日には再入院の連絡があり、3月10日に手術が行われることになったのである。
3月10日の手術日は午前7時40分頃に娘の星子と共に病院に行く。8時30分頃に手術室に行く。我々も手術後に説明を聞くので手術室に行ったのである。そして、手術中は病室棟の談話室で待つことにした。前回は内科病棟であったが、今回は外科病棟である。中央棟とも称し、新館でもあった。設備が整っていて、入院しているのが楽しくなるような病棟なのである。しかし、外科病棟はいつまでも入院することはなく、手術後二、三日で退院になってしまう。その点、内科病棟は内部の全体的な診断なので長引く場合が多い。実際、前回は三週間も入院したのである。談話室で待つこと約4時間であった。手術が終わったという連絡が入り、我々も手術室に行く。担当の医師が切除した胆のうと石を見せてくれた。膨らませた風船がしぼんだように見受けられる。切除した胆のうは病理研究所に回されると言う。我々は再び中央病棟7階の談話室に戻り、待つことになる。やがて看護師さんが呼びに来てくれた。手術後のスミさんと会うことになる。手術は開腹であるが、部分的な場所を開腹し、内視鏡で行われたようである。全身麻酔ではないので、意識ははっきりしている。しかし、手術後なので大儀そうで、我々は帰ることにしたのでもある。もはや1時にも近かったので、病院のレストランで食事をとる。その後、星子を金沢八景の駅まで送り、家に着いたのは2時30分頃であった。
10日に手術であったが、13日には退院である。手術を受けた患者は手術の傷後を心配するが、なるべく運動をした方が良いということなのである。手術後も歩くことを奨励される。13日に退院なので、朝9時頃に病院に行く。スミさんは談話室で待っていた。病室は次の入院患者があるので、荷物をまとめて談話室で待っていたのである。百合子と弥生さんが一緒に迎えに行ってくれたので迎えは楽であった。その後、スミさんは自宅にて適当に動きながら生活している。快復に向かっているようである。
それにしても病院で身体を診てもらうこと、大変なことでもある。1月27日に初めて診てもらうために病院に行った時、2時間30分も待っていなければならなかった。その日に即入院と言うことであったが、病室がないのである。横浜南共済病院は650のベッドがある。それが満杯で、お医者さんも思案していて、場合によっては他の病院の入院になるかもしれないと言っている。最終的には救急病棟に入れてもらうことになったのである。横浜南共済病院は新しい病棟を建設中である。病棟をいくら造っても足りない現状であるようだ。
連れ合いのスミさんは、大事を取って外出は避けているが、家の中では随分と歩くようになっている。適度の運動をしながら過ごせば快復するようである。自分自身を含めて加齢と共に体の弱さを感じる。それなりに生活することを示されている。もう、二万歩も歩くことは控えようかと思っているのであるが。