鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<235>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<235>
2014年2月28日「心遣いを喜びながら」


聖書の言葉
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入って見ると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイによる福音書2章10-11節)




 時々、手文庫を開けて、いくつかの書類を見ることがある。その中に私達が両親へ送った現金書留の封書がある。私が牧師になって、4年後には宮城の陸前古川教会に就任する。その時代から始まったのであるが、毎年、いわゆるボーナス時期には幾らかのお金を両親に送っていたのである。父が亡くなった時、父の遺品を整理していると、昔私達が送った現金書留の封書が出てくるのである。父は子供から送られたものを大事にしまっておいたのであった。1979年からは大塚平安教会に就任したので実家が近くなる。何かと両親にプレゼントしたのであった。ところが父は子供からのプレゼントを使わないで箪笥にしまっておくのである。例えばラクダのシャツ等はいつまでも箪笥の中であった。他に着るものがあるので、贈られたものは大事にしまっておきたいのであろう。そんな、父の昔の姿を思い出すのは、今では父の立場に居るからである。子供たちが誕生日だから、父の日・母の日だから、クリスマスだからと言ってはプレゼントしてくれている。冬用の温かいズボンを三子の百合子が数年前にプレゼントしてくれた。冬になると毎日履いているし、散歩にもそのズボンで出かけている。昨年のクリスマスには二子の星子が、やはり冬用のズボンを贈ってくれた。百合子がくれたズボンがあるから、と言うわけにはいかず、交互に履き替えているのである。星子の居るときには星子がくれたズボンを、百合子が居るときには百合子がくれたズボンをはいているということである。私の父のように箪笥にしまっておくのではなく、贈られたものは喜んで身につけることにしている。冬になると百合子が贈ってくれたちゃんちゃんこを毎日来ている。
 数日前、お風呂に入ろうとしたとき、湯船で滑ってしまう。かなり腰を打ったのであるが、大事に至らなかった。そのことを子供達に話したら、星子が湯船に敷くマットを贈ってくれた。再び滑らないようにと言うことである。お風呂に入りながら、滑り止めのマットを喜んで居るのである。マットの感触を喜びながら、風呂場に設置されているテレビを見るので、つい長湯になってしまう。星子は連れ合いのスミさんが蒲団から起き、立ち上がるのに便利な物を贈ってくれた。三週間も病院のベッドで生活していたが、退院してから、我が家はベッドではなく敷布団であるので、蒲団から立ちあがるのに苦労することを知った星子が、「起きあがり器」を贈ってくれたのである。スミさんも苦労なく起きあがることができ、喜んでいる次第である。
 野菜を切る道具、野菜の皮をむく手袋とかタワシ、洗い籠、何かと子供たちが買い求めてくる。年取った両親が便利に生活するためである。具材をそれ用の容器に入れ、レンジでチンすれば美味しくできるもの等もある。スペインにいる羊子が、日本の曲を収めたCDを発行することになっている。発行前にCDを送ってくれたので、スミさんは枕元にパソコンを置き、ヘッドフォーンで聞いている。そのCDはパソコンでしか聞けないので、私が持っている小さいパソコンにセットして聞くことができる。生活のどこを見ても子供達の心遣いに満たされているのである。
 最近は何もすることがないので、つい昔のことを偲んでしまう。もはや3月になる時、あの頃は忙しかったなあ、なんて思い出しているのであるが、現実の生活の喜びをかみしめなければならない。隠退教師になっても、まだまだ招かれて他教会の説教をしているし、六浦谷間の集会として礼拝をささげている。子供たちから心遣いをもらい、労られつつ過ごしているが、もう少し元気に働きたいと思っているということである。子供たちが六浦谷間の集会に出席するのは、親を励ます意味でもある。バルセロナに赴いたときには、羊子が家で礼拝をささげたいと言い、家族だけの礼拝をささげたのも、親がいつまでも親の職務を担ってもらいたいからであると示されている。間もなく同じようなことを何回も説教で言うようになるのであるが。



敷き蒲団なので、起きあがり器があると楽に立つことができる。



滑り止めのマットを敷いてお風呂に入り。



ズボンは星子から、ちゃんちゃんこは百合子から贈られる。