鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<209>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<209>
2013年11月26日「遠からず距離を置きながら」


聖書の言葉
しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まってきた。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。
ルカによる福音書5章15-16節)



11月24日は横浜本牧教会のお招きをいただき、久しぶりに講壇に立つ。同教会の森田裕明牧師からこの日の依頼があったとき、「どうして」と聞いてしまう。昨年の8月26日にもお招きをいただいたが、その時は牧師の休暇で、その穴埋めということであった。今回のお招きの意味がわからない。牧師が病気で講壇に立てないとかの場合に呼ばれるものであるが、牧師は元気すぎるくらいである。すると、森田牧師は「先生が隠退教師だからですよ」というのである。24日は日本基督教団は「謝恩日」と定め、隠退牧師や牧師遺族を覚えつつ礼拝をささげることになっている。そして、当日の礼拝席上献金日本基督教団年金局にささげられることになっている。横浜本牧教会では「謝恩日」には隠退教師を招き、礼拝説教を依頼しているのであると言われる。隠退教師であるからお招きをいただくということで、改めて自分が隠退教師であると示されるのであった。今の状況では隠退教師という実感が持てないのである。実際、11月3日は私が神学校を卒業して最初に赴任した青山教会の講壇に立たせていだく。そして第二日曜日の10日は横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式を担当する。この日は洗礼式を執行したのであった。そして24日は横浜本牧教会の礼拝に招かれたのである。他の教会からお招きがない場合には六浦谷間の集会として、自宅で連れ合いのスミさんと共に礼拝をささげている。従って、毎週の説教を作成しているし、週報まで発行しているのである。隠退したものの現役と同じような働きをしているのである。しかし、やはり現役とは異なる。教会の責任を持っていないので、牧会がないということである。牧会とは教会の歩み、教会員を祈りつつ日常の職務を担うのである。幼稚園があれば園長として運営、教育に携わる。私はこの他にも二つの知的障害者の嘱託牧師としても担っていた。それぞれ月に一度であるが刑務所や少年院にも出かけていた。さらに日本基督教団の総会書記を担っていたのである。毎日秒読みで走り回っていたということである。それらの牧会の職務がなくなり、今は説教の作成と週報の発行だけだから、やはり隠退牧師なのである。毎週のように諸教会の礼拝に招かれたとしても。
横浜本牧教会は2010年4月から9月まで代務者として担う。また付属の早苗幼稚園の園長を担ったのであった。2010年3月に30年間勤めた大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長を退任したが、引き続き横浜本牧教会の留守番牧師を担ったのである。半年間のお交わりであったが、教会の皆さんは良く覚えていてくださり、今回も私達夫婦を暖かく迎えて下さった。礼拝後は愛餐会の日でもあったが、私達夫婦を囲んでの食事となった。いつもながら食事を作って下さる方々がおられ、この日は収穫感謝礼拝でもあったので、野菜やお米等がささげられて、思わぬ御馳走ができたと言われるのであった。その席上、挨拶をさせられたが、こんなことを述べたのであった。「久しぶりに皆さんとお会いし、少しもお変わりない皆さんを嬉しく思います。しかし、お近くで拝顔すると、それなりに年月の経過を示されます。だから遠からず距離を置いてお話すると、昔の姿と少しも変わりません」と言ったので、皆さんは大笑いとなった。本当にお変わりない皆さんを示されたのであった。
礼拝が終わって説教看板を写真に収めようとしたら、もう次週の説教看板になっていた。何とも早いことで感嘆する。多くの場合、その日の看板は週の半ばころまで掲げられているか、土曜日になって翌日の礼拝案内をする教会もある。ご奉仕の方が着実に職務を担っているのである。係の方にそのことをお話したら、取り込んだ説教看板を記念にと下さったのである。ありがたく記念にしておこう。愛餐会は午後2時前には終わったが、4時から横浜本牧教会はクリスマスコンサートを開催することになっている。愛餐会の後、教会学校教師会があり、教会の皆さんはそれぞれの職務を担うようである。私達もこのコンサートを拝聴することにしている。さて、それまでの時間をどうしようか。本でも読んで居ようかと持参しているのであるが。



横浜本牧教会のたたずまい。



愛餐会で美味しい食事をいただく。



愛情込めて作られたお弁当をいただく。



当日の説教案内。記念としていただく。