鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <97>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<97>
2012年5月14日 「賛美の祈りと感謝の祈り」 


聖書の言葉
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これは私の体である」。また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。
(マタイによる福音書26章26-28節)


 
 5月13日の主日礼拝は、再び横須賀上町教会の講壇に立ち、説教と共に聖餐式を執行した。4月から新しい牧者を迎える準備をしている頃、その頃はまだ迎える牧者が決まっていなかったが、3月をもって横須賀上町教会の第一主日の礼拝担当は終わりになると思っていた。2010年9月で18年間牧会された森田裕明牧師が横浜本牧教会に転任となり、その後は湯河原教会の金子信一牧師が代務者として担うことになる。金子牧師は本務の教会があるので、毎週の礼拝を担当できない。そこで私が第一主日の礼拝を担当し、第三と第四は他の牧師が担当することになったのである。代務者体制として一年半歩んだが、いよいよ2012年4月から新しい牧者を迎えることになったのである。迎えられた牧者はこの3月に日本聖書神学校を卒業したばかりの宮澤恵樹先生である。補教師試験も合格しており、6月の神奈川教区総会で准允を受ける。そして7月22日に就任式を執行し、そこから伝道師としての牧者になって、横須賀上町教会の牧会を進めて行くのである。日本基督教団の教憲教規は、洗礼式や聖餐式の執行は正教師が行うことを定めているので、補教師期間中は聖礼典の執行ができないのである。2年後には正教師試験が行われ、合格すれば正教師として牧師に就任するのである。それまでは聖餐式の執行は他の牧師が担当するのである。今まで関わったことなので、その任を私に要請されたのである。喜んでお受けした次第である。



横須賀上町教会の佇まい。



 それにしても、私と横須賀上町教会との関わりは、歴史を通して神様が導いておられることを示されている。この横須賀上町教会には清水ヶ丘教会出身の斎藤雄一牧師が就任する。その頃、私は高校生であり、清水ヶ丘教会に出席していたのであった。その後、私の叔母が、清水ヶ丘教会員であったが横須賀上町教会に転会する。叔母に取って、大きな教会の中で奉仕するより、比較的小規模の教会で力強く奉仕したいとの思いがあったようである。そのような関わりがあり、斎藤牧師が退任するにあたり、北海道の教会で牧会していた森田裕明牧師を横須賀上町教会に紹介したのである。森田牧師は大塚平安教会出身であり、さらに私が宮城県の陸前古川教会で牧会していた頃、中学・高校生として教会に通っていたのである。森田牧師は横須賀上町教会で18年間、幼稚園を担いながら辛抱強く牧会したと思っている。
 そして、横須賀上町教会には宮澤先生が赴任したのであるから、このことも神様のお導きであると思っている。実は宮澤恵樹先生の父上、宮澤豊先生とは親しい友人でもある。年齢的にも私の方が上であり、神学校の学年も私の方が数年上である。それでも神学校時代は顔を合わせていた間柄なのである。卒業してからはそれぞれの教会に遣わされたので、その後は会う機会もなかった。2002年10月に私が日本基督教団総会書記に選任され、5月になると教団議長、副議長、書記、総幹事が各教区総会に教団問安使として、それぞれ訪問するのである。宮澤豊先生は軽井沢南教会の牧師であり、東海教区に所属する。その東海教区の総会には三度問安使として訪問しているのである。その度に宮澤先生とお会いすることになり、旧交を温めたというわけである。そのため2008年8月17日に軽井沢南教会の講壇のお招きをいただく。その時、ご子息の恵樹先生も礼拝に出席されており、そこで紹介されているのである。実は、恥ずかしながら記憶がないのであるが、赴任された宮澤恵樹先生がお訪ねくださり、いろいろと懇談しているうちに、既にお会いしていることが示されたのである。だから、全く知らない先生が赴任されたというのではなく、親しい先生のご子息でもあり、私としても、これは神様のお導きであると思わざるを得ないのである。
 以上のように、長い歴史を通して横須賀上町教会と関わって来た。そして、隠退した今、それでもまだ関わりが導かれているのである。おそらく、この務めが私の教会における最後のお務めになるだろう。神様のお導きとして感謝している。