鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <118>


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<118>
2012年7月2日 「地の果てに至るまで」 



聖書の言葉
さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、私の証人となる。」
使徒言行録1章6-8節)




 日本基督教団神奈川教区の定期総会が、前週の土曜日6月30日に清水ヶ丘教会で開催された。隠退教師は准議員として登録されているので、案内も来るし、出席すれば意見を述べることができる。しかし、准議員は発言権はあっても採決に加わることはできない。そういう身分になったことをつくづく示されるのであった。2月に開催された総会は所用で欠席している。今回はぜひ出席する必要があった。総会の午前中に准允式が執行されるからである。5人の准允志願者の中でも3人が知り合いであったからである。一人は小林美恵子さんで、大塚平安教会時代に、私たちが彼女の背中を押して神学校に入ったのである。4年間の学びが終わり、今年3月に日本聖書神学校を卒業する。そして4月からは横浜上倉田教会の伝道師に就任したのである。もう一人は宮澤恵樹さんで、この4月から横須賀上町教会に就任している。彼もこの3月に日本聖書神学校を卒業している。横須賀上町教会は2010年10月から専任牧師を招くことができず、代務者を置いて歩んできた。そのような事情であるので、私は毎月第一日曜日の礼拝を担当してきたのである。一年半の代務者であったが、4月から宮澤恵樹伝道師が就任することになり、無牧の時代は終わったことになる。しかし、日本基督教団は伝道師の聖礼典執行はできないので、私が聖餐式を司るために5月から第二日曜日に赴くことになっているのである。そして、もう一人の准允志願者は石丸泰信さんである。この人は連れ合いのスミさんの友人、見上真理子さんの弟さんのご子息である。スミさんは弟さんとも昔は親しくお交わりをしているので、その息子さんの牧師への道を喜んでいる。私としても、教団書記を担っていたとき、その弟さんの石丸泰樹先生は世界宣教委員会幹事としてお働きであったので、共に教団を担っていたのである。
 准允式は教区総会で執行される。神学校を卒業するとき補教師試験を受ける。その試験に合格した者は教区総会で准允を受けるのである。准允とは伝道者の任を与えられることであり、しかしまだ牧師ではない。御言葉に仕えながら2年後の正教師試験を受けるのである。その試験に合格して、教区総会で按手礼をいただき、初めて牧師と称せられるようになる。准允式を受けた後は教会の就任式になる。従って、4月から就任しているものの暫定的であり、就任式をもって正式に教会の教師になるのである。いずれにしても准允を受けた皆さんが、それぞれ遣わされた場で、伝道者の働きが豊かに導かれるようお祈りしている。
 1979年に大塚平安教会に就任し、以来今日まで神奈川教区に属する教師として過ごしてきた。教区書記、常置委員、研修委員会委員長、宣教部委員会委員長、教区副議長、教区議長等の職務を担っている。その後は教団教師委員会委員、教団書記を担うことになる。このように振り返ると、大塚平安教会の牧師とドレーパー記念幼稚園の園長を担いながら、よくも様々な役職を担ってきたと思う。久しぶりに教区総会に出席して、顔ぶれも随分と変わってきていると思わされる。若い皆さんが今後の神奈川教区を担っていくのであるが、やはり中心になるのは日本基督教団の教憲・教規であることは言うまでもない。超法規的な議事運営をしてはならないのである。神奈川教区が教団の地域共同体として、祝福の群れであることを祈りつつ会場を後にした。



神奈川教区総会が開催された清水ヶ丘教会。



総会の議場。