鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <96>

 


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<96>
2012年5月11日 「これらの言葉を告げながら」
 

聖書の言葉
モーセイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野で、一方にパラン、他方にトフェル、ラバン、ハツェロト、ディ・ザハブがあるスフに近いアラバにおいてであった。ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまで11日の道のりである。第40年の第11月の1日に、モーセは主が命じられたとおり、すべてのことをイスラエルの人々に告げた。
申命記1章1-3節)

 
 昨日の5月10日は私の73回目の誕生日であった。早いもので、もう73歳になったのだと、しみじみと思うのであった。この静かな六浦の自宅で、連れ合いのスミさんとのんびり過ごしながら、読書と執筆に明け暮れていること、そういう環境で迎えた誕生日であった。今回は特に感じている。2010年3月に大塚平安教会を退任しても、その後は横浜本牧教会の代務者であったし、昨年の今ごろは無任所教師で過ごしていたが、娘の羊子がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしているので、連れ合いのスミさんと次女の星子と三人でバルセロナ滞在中であった。大塚平安教会在任中、特に最後の10年間は、いろいろな職務を担うことになり、多忙を極めながら歩んだのであるが、賜物を与えられているのだから当然と思っていた。大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長、大塚平安学園理事長、綾瀬ホームとさがみ野ホームの嘱託牧師、日本基督教団総会書記、刑務所と少年院の職務等、今から思い出すと、よくもこんなに職務を担ったものだと、自分ながら感心する。
その多忙の中から始めたのが説教プリントである。2007年9月30日に大塚平安教会の修養会が開催された。修養会は何処にも出掛けず、教会を会場にして開催する場合と、郊外に出かけ自然を楽しみながら開催する場合と、隔年に開催していたのである。2007年の開催は教会であり、日曜日の午後の半日修養会であった。時間的にも牧師の主題に関わる講演は、その日の主日礼拝の説教を兼ねて行うことにしたのである。説教は説教であり、主題講演とは異なる。しかし、時間的なこともあり、考慮することにしたのである。修養会を開催したとき、その報告書を発行することにしているので、当然説教兼講演もプリントされるのである。それで当日の説教兼講演はすべて原稿にする。そして、まだ報告書ではないが前週の説教として教会員に配布したのであった。前週の説教を、要旨ではなく、語るすべてをプリントすること、これは良い思い付きであると示される。当日礼拝に出席できなかった方にもお示しできるし、出席された方も、改めて読んでいただけるからである。説教プリントはこの日から始められ、大塚平安教会を退任する2010年3月28日の最後の礼拝まで続けていた。そればかりではなく、その後4月から9月まで横浜本牧教会代務者を担ったが、その教会でも説教プリントを配布したのである。説教を逐一書くことの習慣が身に付いてしまい、10月から無任所教師となって、教会の講壇に立つ予定がないのに、主日礼拝の説教を用意していたのである。せっかく準備して作成した説教であるので、「御言葉に向かう」としてブログで公開するようになった。さらに、せっかく説教が用意されているのだから、と言うわけで2010年11月28日の主日より六浦谷間の集会を始め、連れ合いのスミさんと二人だけであったが礼拝をささげるようになったのである。そして、今に至るまで説教プリントは作成されているのである。この説教プリントが、あの多忙を極めたときに始まったことを思うと、多忙ではなく、余裕があったことが示されるのである。
73歳の誕生日を迎えようとしていた頃、2007年9月30日以来、説教プリントを作成しているので、これらをまとめて説教集を発行する思いになっている。その中で2008年中の説教は、「最初の朝餐」と題して出版している。2010年3月に大塚平安教会を退任する記念として、教会が企画し出版してくれたのである。だから2007年12月までの14編と2009年1月から3月までの13編、27編の説教集の整理をしている。その後、順次発行することにしている。5月中には発行できるので、自分へのプレゼントになるのだろうか。それよりも結婚以来43年間、私の説教を聞き続けている連れ合いのスミさんへのプレゼントにすることとしよう。