鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<421>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<421>
2016年9月13日「物語としての車により」



聖書の言葉
ヨセフは車を用意させると、父イスラエルに会いにゴシェンへやってきた。ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた。
(創世記46章29節)



今年はまだ台風が来ていません、と言っていたのは、確か6月頃のNHKの天気予報であった。いつもは6月頃でも台風が来ているからである。やれやれ今年は風水害がないとの思いは、今になって訂正されている。今になって次々に台風が発生し、大雨や土砂災害が発生するようになり、多くの犠牲者が出たことには痛みとお見舞いを持ったのであった。9月11日の週も雨模様が続くということである。そんな天気予報を示されながら、やはり残念なのは、雨のため散歩ができないということである。今にも降りだしそうな天候であっても、その時点で降ってなければ散歩に出かける。しかし、散歩の途中に大雨となることもある。もちろん傘は用意しているが、かなり濡れて帰宅する。濡れても散歩ができたという喜びがあるのである。とにかく毎日歩くことを願っているので、そのために天気予報が気になるのである。
そんな毎日なので、あまり車に乗ることはない。時には金沢区役所に書類を取りに行ったりするが、歩いても30分であり、車は使用しないのである。しかし、私はあまり車を使用しなくなったのであるが、連れ合いのスミさんは必要なのである。2010年3月に大塚平安教会を退任する際、引っ越しの準備をしていたスミさんが脚立から転落し、腰をコンクリートに打ってしまう。それ以来、腰をさすりながら過ごしているのである。週に一度は整形病院に行き、リハビリをしている。また、買い物に出かけなければならず、どうしても車が必要なのである。今まで使用していた車は、初年度登録以来、間もなく20年になる。走行距離も少ないので、このまま使用していることもできると思っていた。しかし、子供達が、やはり年数も経っているので替えた方が良いと忠告する。やむなくその勧告に従うことにして、去る9月10日には別の車にしたのである。今まではグロリアの車であり、使用すること10年くらいであった。この車は乗用車としては大きい部類で、我が家付近にはかなり狭い道があるので、今までも擦り傷を作っていた。それで、今度は一回り小さい車にしたのである。日産のティーダという1500CCの車である。これも古い車で、今は新車では販売されていないという。とにかく、そんなに遠距離を走り回らないので、これくらいの車で十分なのであった。
そんなことで、しばし我が家の車の歴史を顧みる。最初に使用した車はスズキフロンテと言う軽自動車であった。青山教会副牧師時代であり、六郷土手の高層住宅に住んでおり、毎日その車で教会に行き来していたのである。宮城の陸前古川教会に赴任するときには、羊子や星子の二人の子どもがいることもあり、スズキのキャリーバンを購入し、宮城まで国道六号線で向かったのであった。その後、宮城の教会ではニッサンのセドリックバンを使用するようになる。この車は結構、牧会にも家族の行楽にも活躍してくれる。三人目の百合子もいることになり、宮城から横浜の実家に帰省するときには、便利な車であった。その後はセドリックの乗用車を利用するようになる。宮城から大塚平安教会に赴任するときには、この車で来たのである。大塚平安教会時代には、その後ローレル車を使用し、更にセドリックやグロリアを使用することになる。今まで使っていたグロリアは、それまで使用していたセドリック車が三回も車上荒らしにあい、盗難で帰って来なかったので、車両保険で手に入れた車でもある。大塚平安教会在任中は車上荒らしに合わないように、夜になれば幼稚園の庭に入れていたものである。今の家に住むようになって、この辺は車上荒らしなるものはないので、安心していられるのである。
車の歴史を顧みると、さまざまな思いがよみがえって来る。その車の思い出を書き出すと、物語が絶えなくなり、ブログの種は尽きないのであるが…。



今まで使用していたグロリア。ランドマークタワーを背景にすると高級車みたい。



新しく使用することになったティーダ



もうお別れのグロリアと記念写真。自宅にて。



これから世話になる車、ティーダ
もう鈴木家の顔になったりして。