鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

車のことあれこれ( 主の日を知りつつ )

 
 車のナンバーを「横浜」ナンバーにしました。今までは「相模」ナンバーでした。どんなナンバーでもよいのですが、「相模」ナンバーである限り、税金の払い込み用紙が旧住所に送られてしまうからです。実は「横浜」ナンバーにこだわっていたわけではありませんが、なんとなく思いがありました。30年前に宮城から綾瀬市に転居する時、陸前古川教会の青年が、今度は「横浜」ナンバーになりますね、としみじみと言われたことが心に残っているのです。当然その頃は「宮城」ナンバーでした。教会を離任する時、その青年が私の車を運転して大塚平安教会まで送ってくれたのです。宮城から交替で運転したのですが、彼が運転してくれたので助かりました。その青年の言葉が心に残っていたものですから、こちらでは「相模」ナンバーであったので、期待が裏切られた思いでもありました。「相模」ナンバーは「相撲」ナンバーみたいでいやです、と大塚平安教会の女子青年が言っていたことが印象的でした。30年を経て、ようやく「横浜」ナンバーになったというわけです。
 ナンバーを気にするような年齢ではありません。若い人はナンバーにこだわるのでしょうか。36年前に宮城県の陸前古川教会に赴任した時、軽自動車バンで赴きました。赴任して1週間もしないうちに、教団出版局の「信徒の友」誌の取材がありました。よくわからないままに、市内を案内したのです。その時、取材の記者が、私の車が「品川」ナンバーなので、興味を示していました。写真を写す時にも、わざわざ「品川」ナンバーが写るようにしていました。赴任したての東京からやってきた牧師を紹介しようとしたのでしょう。
 今の家に住むようになって、楽になったことは車の管理です。大塚平安教会在任の頃は、駐車場が県道を挟んで向こう側にありました。3度も車上荒らしにあいました。古くなった車をあきらめて、新しい車にしました。中古車なのですが、店頭に飾っていた車と言うことで、新車にも関わらず中古車として扱ってくれました。今まで新車に乗ったことはありません。そのため車に乗るのが楽しみになっていました。そしたら、朝乗ろうとすると車がないのです。すぐ警察に来てもらい、捜索してもらうことにしました。3日目に市内の公園におかれているということで行きました。エンジン起動の鍵の部分が壊され、車内は消火器の粉末がまかれていました。それでも修理して使うことにしました。それから1ヶ月もしないうちに、また車上荒らしにあいました。今度は3日どころか1ヶ月経っても発見されません。車を盗む人は外国に売り飛ばすことも聞きました。2ヶ月経って発見の連絡がありました。もう出て来ないので、別の車を発注していましたから、発見されても処分することにしたのです。すべて保険の対象になりましたので、損をすることはありませんでした。車上荒らしをもう一度受けます。フロントバンパーとナンバーを持って行かれたのです。
 こんなことが度々あったので、車は夜になると幼稚園の庭に入れるようにしました。毎日、夜になると車の移動をしなければなりません。問題は出張する時です。先日の教団総会のように、3泊も出張するのです。当初は一泊くらいの時は幼稚園の職員に移動をお願いしたりしました。しかし、毎回申し訳ないので、駅前に貸し駐車場があり、そこに預けるようにしたのです。5月の教区総会に教団問安使として出かけるときは、1泊、2泊しますので、いつも貸し駐車場に預けるようにしました。横浜に住むようになり、今までのように、夜になると車の移動をしなくても良いことになりホッとしている訳です。
 今年の5月に免許証の更新があり、大型免許は返上しました。大型を運転することもないからです。普通免許を返上するのも、そう遠くはないでしょう。車に乗るより、毎日歩くことが楽しみになってきました。次第に自然に近づくのでしょう。
<聖書の言葉>
盗人が夜やってくるように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからである。
(テサロニケの信徒への手紙<一>5章2節)