鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<422>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<422>
2016年9月29日「追われる思いで…」



聖書の言葉
イエス・キリストの言葉)あなたたちは、夕方には「夕焼けだから、晴れだ」と言い、朝には「朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ」と言う。このように空模様を見分けることを知っているのに、時代のしるしを見ることができないのか。
(マタイによる福音書16章2-3節)



隠退牧師は、のんびりと過ごしているので、何かをし遂げようと思っても、つい後手後手になってしまう。ブログにしても、最近は執筆の間隔が長く、閲覧くださる皆様には申し訳ないと思っている。今回は、やはり書いておかないと、更に感覚が開いてしまう。と言うのは、10月からは現役に戻るかのように、幼稚園の園長に就任することになった。横浜本牧教会の牧師が、この9月末で退任される。同教会の牧師は付属の幼稚園の園長も担っているので、その園長の後任である。教会の牧師は代務者を置くことになり、今回は幼稚園の職務だけである。今回はと言うのは、実は2010年4月から9月までの半年間、同教会の代務者、同幼稚園の園長を担っている。その様な経験があるので、今までの牧師が退任するにあたり、園長の職務を依頼されたのである。代務者に就任する牧師は、本職を担っているので、教会以外の職務はできないのである。横浜本牧教会は聖坂養護学校とオリブ工房に祈りつつ関係を保っている。月に一度は、それぞれ聖書の学びの時を持っている。その職務も横浜本牧教会の牧師が担っているが、代務者に就任する牧師は、それも担えないので、私が担うことになったのである。この職務も2010年の代務者の時、半年であったが担っている。従って、幼稚園の園長も二つの関係団体の聖書の学びも経験済みなのである。
それにしても10月からは職務を担いつつ過ごすことになり、今までのようにのんびりと過ごし、何事も後手後手にしながらの歩みができなくなる。それで、まずしたことは、ブログをまとめることであった。丁度、9月19日は連れ合いのスミさんの誕生日であり、誕生日祝いとして作成したのである。ブログ集は既に4巻を発行している。今回は第5巻として、301回から400回の100回を纏めたものである。もっとも限定一冊しか発行していない。皆さんはネットでご覧いただいているので、家族に残すために発行しているのである。100回分をまとめ、製本にするのも結構な仕事となる。それでつい後回しにしていたのであるが、10月になるとできなくなるので、それにスミさんの誕生日があったので、完成することができたのである。心残りになるのは、もう一つある。それは庭の整理である。庭の雑草の整理と共に、庭一面にハヤトウリが蔓延っているのである。その葉っぱも結構大きいので、うっそうとした庭になっている。それこそ10月にもなれば、庭の整理もできなくなるので、この際、蚊の襲撃対策で身を固め、整理をしたのであった。集めた雑草等はごみの大袋が六つにもなり、車に積んでごみの収集場に運んだのであった。ハヤトウリを整理するあまり、根元から刈り込んだので、大方傷めてしまったようである。
これで心残りはないのであるが、実は、もう一つ進めなければならない作業がある。それはドレーパー記念幼稚園の歴史を書くことである。歴史と言っても、私が園長として在任した30年間の記録である。歴史は資料があれば掘り起こせるが、やはり当事者が書いたほうが確かである。それで思い立って書くことにして、いろいろと資料を借りてきて、手元に置いてある。今までも少しずつではあるが、書き始めている。大塚平安教会の週報は教会のことばかりではなく、幼稚園のことも報告している。そのため、30年間の週報を閲覧すること二度、三度である。週報から拾い上げた事柄に対して、幼稚園の年度報告、理事会資料等を参照しながら執筆を始めていた。しかし、まだ途上にある。10月からは忙しくなるからと、作業を遅らせるのではなく、折りがあれば作業を進めなければならないと思っている。10月から現役の職務につくので、慌ててブログのまとめ、庭の整理をしたが、人生の終わりを考えれば、できるうちに作業を進めなければならないと思っている。なかなか時間がないと言うのであれば、幼稚園の行き帰りの電車の中で書こうか…。



庭はハヤトウリ等でうっそうとしていた。



雑草を刈り込んで、少しはすっきりする。



ブログ集第5巻を発行する。



ドレーパー記念幼稚園の佇まい。
在任中の30年間の歴史を書くことにしているが。