鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<423>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<423>
2016年10月11日「もう少し務めてみるか…」



聖書の言葉
あなたを導かれる方は、もはや隠れておられることなく、あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る。あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべく道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け」と。
イザヤ書30章20-21節)


今年も娘の羊子がバルセロナから一時帰国して、いくつかの場で演奏会を開かせていただいた。「今年も」と記したが、昨年の2015年10月30日から11月25日まで、連れ合いのイグナシオさんと共に帰国している。11月1日には清水ヶ丘教会で、11月22日には三崎教会で、23日には大塚平安教会で演奏会を開かせていただく。さらに京都の同志社女子大、北海道北見望ヶ丘教会等でも演奏会を開いてくださる。今年は9月19日に帰国し、10月5日にはバルセロナに戻って行く。約二週間であったが、その間、倉敷と神戸で演奏会が開かれたのであった。今回の滞在中、三崎教会や横浜本牧教会の礼拝後に、数曲であるが演奏している。特に横浜本牧教会には、礼拝後の集いで演奏させていただいている。私が10月から横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長に就任したので、10月2日の礼拝に出席し、皆さんに挨拶をしたのであった。教会は小林誠治牧師が代務者に就任し、私が園長に就任することになったのである。
横浜本牧教会の牧師・園長が9月末で退任したので、次の牧師が就任するまでであるが、まだ余力がありそうなので園長を引き受けたのである。2010年3月末に大塚平安教会を退任し、その後の4月から9月までは横浜本牧教会の代務者及び園長を務めたが、10月からは無任所となり、そして隠退している。それ以来、六浦谷間の集会として夫婦で礼拝をささげている。いくつかの教会から礼拝説教を依頼されているが、通常の生活はのんびりと過ごしていたのである。ところが10月からは現場に戻り、園長の職務を担うことになった。しかし、毎日執務するのは大変なので、月・水・金の三日間としている。10月3日から、いよいよ園長の務めを始める。園長は全体の責任であり、常時、子どもたちと接するのではないが、それでも園長がいることを示さなければならない。まず、3日の日は、お弁当の時間に各教室を訪ね、新しい園長として挨拶を行う。5日には幼稚園の入口に立ち、登園する子どもたちのお迎えをする。この幼稚園は通園の送迎バスを持たないので、保護者の皆さんは自転車で送迎している。9時からの15分間に一斉に登園するのでお迎えの挨拶も忙しいというもの。ドレーパー記念幼稚園の頃も、門に立つては子供たちのお迎えをしたことが懐かしく思い出されるのであった。そして、早くも8日の土曜日は運動会である。その日は雨模様の予報なので、朝のうちに10日に延期することを連絡するのであつた。前任の幼稚園で、雲行きが怪しかったが、運動会を開催する。ところが開催中に雨が降り出したのである。いくつかのプログラムを取りやめて終了したのであった。「延期にして欲しかった」と苦情をいただいたことが忘れられない。だから今回、朝のうちは曇り空であったが、予報は雨なのでいち早く延期したのである。だから、その日は「雨よ、降れ降れ」と祈ったものである。そして10日に開催したのであるが、予報では晴れるということであったが、一日中曇りであり、寒さも増してきていた。それでも雨が降らず、開催できたことを喜んでいる。
早苗幼稚園は本牧の中ほどにあり、我が家から車で行けば40分くらいである。電車とバスで行く場合には1時間30分かかる。毎日、2時間近く散歩しているので、車で行くのでは歩くことが少なくなる。それで、なるべく電車とバスで行くことにしたのであるが、朝の時間に電車に乗るのは、ラッシュの時間帯であり、電車で座ることもできない。それで、車で行き来することが多くなっている。とにかく現場に復帰したのであるから、今までのようにのんびり生活から、緊張生活に復帰している。その中で、何よりも連れ合いのスミさんがお弁当を作ってくれるので、それが楽しみでもある。スミさんにしても朝早く起きてのお弁当作りは、いろいろな意味でプラスになっているのである。電車で行く場合には、お弁当は荷物になるので、その時は持っていかない。車で行けばお弁当は荷物にならない。スミさんの生き甲斐のためにも車で行くことにしているのである



羊子の神戸におけるコンサート。風月堂の会長さんが主催してくださる。



横浜本牧教会・早苗幼稚園の佇まい。



横浜本牧教会で園長就任歓迎会であいさつする。