鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<303>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<303>
2015年2月15日「恵みの糧を喜ぶ」


聖書の言葉
エスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしがきたのは来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章15-17節)


 数日前よりテレビの番組で、チョコレートに関するものが紹介されており、関係のないこととして見ていた。2月14日のバレンタインデーが近づいていたからである。ここで昔のことを記し始めると、楽しい思い出話になってしまうので自粛しておこう。関係ないと言いながら、ほのかな期待もあるのである。もはや現役を退いているが、毎年、この日になると我々夫婦宛にチョコレートを送ってくださる方がある。今年もほのかな希望は適えられることになる。14日の午前中にも贈物が届く。可愛いお人形さんの中にチョコレートが入っている。メッセージを読みながら、夫婦で感謝していただいたのであった。
 何にしても食べることの思い出はいつまでも心に温かく残っているものである。スペイン・バルセロナに滞在中、多くの食事の機会が与えられ、その都度、羊子に促されて写真に収めている。毎日の生活の中でも、少し変わった食事が作られると、その料理を手に持っている姿を写真に写されるのである。お招きをいただいたときにも、出されたお料理は必ず写真に収めていたのであった。そんな習慣が身についてしまい、帰国して毎日の生活をする中でも、食事の時はいつもカメラを用意している。特別なご馳走でなくても、食生活を記念に残しておくためにも写しているのである。前回のブログでもトンカツ屋で写した写真を掲載している。今まではあまり写真に収めることはなかったが、注文した料理が運ばれて来ると、お店の人に頼んで記念写真を写すのである。これも、バルセロナ滞在中に羊子から伝授されたことである。日本では「箸をつける前に」と言うが、とりわけ現地では「フォークをつける前に」というべきか、必ず店の人に記念写真を写してもらっていたのである。バルセロナ滞在記のブログでも、いくつかレストランでの記念写真を紹介しているが、羊子の家での食事も結構紹介している。
 食事ということではバルセロナの事情と日本とでは異なることを紹介しておこう。日本の場合、会合があり食事が出される場合、それは不特定多数であるので、バイキング方式として、いろいろな食べ物がテーブルに並べられる。サンドイッチ、お寿司、その他の料理である。そのテーブルは、多くの場合、会場の中央である。各自がそこに行っては自分のお皿に盛りつけてくるのである。そして、お皿を持ちながら三々五々輪になって、歓談しながら立って食べるのである。バルセロナ在住の時、羊子とコンサートに行き、終わってから軽食あると言われる。その場合、日本のように会場の中央にテーブルが置かれ、そこから取って食べるものと考えていた。しかし、軽食の会場に入っても、それらしいテーブルはない。会場にはテーブルが多数置かれ、その周りには7、8人が座るのである。そこで歓談しているとお盆に食べ物を乗せて持ってくる。それを一人一人の前に差し出すと、食べたい人はそれを取るのである。それは一種類であるが、別の料理が次々に運ばれてきて、各自のテーブルを回るのである。何があって、何を食べるかではなく、順次まわって来る食べ物なので、これから何を食べるのかはわからない。それでも、その様な食べ方であるが、結構お腹が満たされる。飲み物は会場の端にそのコーナーがあり、ワインでもジュースでも、自由にいただくことができるのである。スペイン総領事館主催の天皇誕生日祝賀会に羊子が招待されていたので、我々夫婦も一緒に行くことになる。式典の後、総領事館の庭で軽食をいただく。その時はテーブルはなく、立って歓談している。歓談していると次々にお料理を人々の前に差し出す。天婦羅、お寿司など、日本の料理が次々に運ばれる。羊子の結婚祝いでも同じであった。やはりお盆に乗せて料理が運ばれ、それぞれいただいたのであった。
 それからお招きをいただく食事である。日本では最初から用意したお料理をテーブルに並べる場合が多い。しかし、バルセロナでは、最初は前菜が出される。必ずしも野菜ではない。まあ予備的な食べ物である。これが結構おいしいのである。おいしいからといつまでも食べている訳には行かないのである。他の人は食べ終わっている。全員が食べ終わらないと次の料理、本菜が出てこないのである。前菜は美味しくてもほどほどにしおかなければならないのである。自分は食べるのが遅いのでということも皆さんに失礼なのである。皆さんと合わせながら食べ終わらなければならないのである。日本のようにいろいろな料理を見つめながら食べるのではなく、一つの料理に集中して食べるということである。もっとも日本の会席料理も一度ではなく、順次出てくるのであるが。
 日本料理にしても西洋の料理にしても、食べた思い出はいつまでも残っている。写真を見てはその時の味まで舌に伝わって来るのである…。



贈られた楽しいチョコレート。ほのかな期待がかなえられる。



レストランで食事の招待を受けたときにも、
必ず店の人に写してもらう。



羊子の誕生日祝いに皆さんと食事をする。お招きし、招かれる食事が
何と多いこと。



ある日の食事。夫婦二人で、簡単な鍋物であるが…。