鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<2>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <2>
2012年9月11日「いにしえの昔を示される」



 9時頃に起床した。私が寝ている部屋からスミさんや羊子の部屋にまで、私のいびきがごうごうと聞こえたそうだ。それほど疲れていたのであろう。一気に寝たようである。朝食は羊子がご飯を炊き、味噌汁を作ってくれたので、持ってきた明太子や納豆でいただく。やはり食事はしみじみといただくことだ。飛行機の中では三回の食事が出たが、いずれも簡易食事である。成田を飛び立って1時間後には食事が出る。私はチキンの煮込み、日本そば、パン、プルーンである。スミさんの場合はチキンの煮込みの代わりに焼きそばであった。他は同じである。眠りたいこともありワインを二杯も飲んだ。日本時間で午後7時頃に出た食事はグリンピースの混ぜご飯であった。ヘルシンキからバルセロナまでは3時間であるが、それでも機内食が出る。パスタをカレーで料理したサラダとパンであった。機内食は決してまずいとは言わないが、狭いところなので味わうというものではない。それでも飲み物等サーヴィスがあるので、毎回ワインをいただくことになる。
 昨日の今日であるが、羊子の都合もあり、バルセロナの郊外にある遺跡を訪ねることにした。車に乗ること30分くらいである。かなり山に入っていく。頂上には小さな城が見える。物見のために造られたとか。ブリアック城と称し、標高400mくらいの高さである。我々は上まで行かず、途中までであったが、結構ハイキングに来ている人を見かける。昔、この辺はイべロ人が住んでいたが、ローマ人に征服されたということである。その後、スペインに組み入れられるのである。道々、いにしえからの家がそのまま残されているのを見る。山から降りてレストランで食事をする。テラス席で心地よい風を受けながらいただくことになる。白身魚のフライ、チュラスコといわれる牛のあばら骨付近のステーキ、サーロインステーキ等、野菜サラダと共にいただく。午後6時には帰宅する。昨年も紹介されたが、ホアキンさん(通称マルケスさん=伯爵の意)に食事を呼ばれており、午後8時頃には家を出ることにしている。それまで時間があるので、シャワーを浴びて一休みする。



バルセロナ郊外の標高500mにあるブリリャック城



ホアキンさんに招かれての食事



カタルーニャの独立を目指す祭典
テレビ放送より



 7時30分頃に起きると、スミさんが腰の痛みを訴えていた。少し動いても痛むようで、ベッドで休んでいることにした。8時すぎに家を出たが、バルセロナ市外は朝から異様な空気が漂っているようであった。それが夕刻になると一層高まっているようである。今日は9月11日で休みの日になっている。カタルーニャの人々にとって独立を争った日であるという。スペインは人口4,600万人であるが、そのうち750万人はカタルーニャの人々であるという。独立運動を起こしたが、認められなかったという。毎年、9月11日には独立に立ち上がった記念日とし、再び独立運動を高めているのである。そのため各地から人々がバルセロナに集まってきているのである。観光バスで遠くから来ている。多くの観光バスが停まっていた。人々はカタルーニャの旗を背中に覆って歩いたり、旗を持って会場に向かっている。そのような物々しい町を車で走ること15分、高級住宅街にあるマルケスさんの家に着く。81歳になるホアキンさんは一人で生活をしている。お連れ合いを7年前に天に送り、三人のお子さん達がいるが、それぞれ家庭を持っている。時々、お孫さんを連れてこられるという。そういうマルケスさんであるが、夕食を用意して待ってくれていた。スモークサーモン、スペインハム、サラダ、ワイン等をいただく。スミさんが伺えなかったことについては、とても残念がっていた。楽しく歓談しながら食事をいただき、帰宅したのは夜中の12時近かった。テレビでカタルーニャの人々の集会が報道されていた。150万人は集まったという。テレビの録画であるが写真に収めておいた。今後、カタルーニャの人々の動向が歴史に残る集いであったようである。
 スミさんの腰の具合はその後も痛みが続いているようである。明日は病院で見てもらうことにしている。前回も病院で見てもらう事故があったが、今回も病院行きになってしまった。バルセロナへの旅のため、少し無理をして準備したのが原因かも知れない。