鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<1>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <1>
2012年9月10日「再びバルセロナへ」



 再びバルセロナへ赴くことになった。昨年、2011年4月4日から5月18日まで、娘の羊子がスペイン・バルセロナでピアニストとして演奏活動をしているので、連れ合いのスミさんと二番目の娘・星子と共に赴いた。45日間の滞在は、新しい出会い、未知の体験、思考の変換等を得ることが出来、しばらく反芻しながらまとめたことについては「スペイン滞在記」として公にしている。その後、一年半を経たとき、再びスペイン・バルセロナに赴くことになったのは、この先、老いが重なることで行かれなくなることが考えられ、いずれ再び赴くことを念頭においていたのであれば、行かれる今、行こうと言うことになったのである。何しろ今年の5月で73歳になっているのである。体力、思考等、衰えを感じるようになっている。
 前回の経験があるので、航空券を取るときには慎重に選ぶことが出来た。前回はスイス航空のチケットであったが、その飛行機便はキャンセルが多く、フライトもキャンセルになる。そのためスイス航空会社が代わりの便を手配してくれて全日空の便になる。全日空は割高なので敬遠してスイス航空にしたので、これは願ってもないことである。そのためか乗り継ぎ時間を気にもせずに同意してしまったのである。その便は多少遅れてフランクフルトに着いたのであるが、なにしろ乗り継ぎ時間が1時間くらいしかなかったので、到着が遅れたために乗り継ぎが出来なかったのである。フランクフルトで4時間も待たされて、バルセロナに着いたのは23時であった。そんな経験があるので、今回は乗り継ぎ時間が楽な飛行機を探したところ、フィンランド航空が行きも帰りも乗換時間2時間10分であり、その便を利用することになった。
 10日午前3時頃に起床し、荷物の最終チェックを行い、家を出たのは5時20分頃であった。成田空港の手前に酒々井パーキングエリアがあり、そこで朝食をいただき、空港には8時30分頃に着く。フィランド航空の旅行手続所は長蛇の列であった。もうこんなに並んでいるので慌てて列に加わる。並んでいると、連れ合いのスミさんが杖をついているのを見た係員が優先的に手続所へ案内してくれた。手続きのとき車椅子の手配を依頼する。まもなく係員が来て、スミさんを車椅子に乗せ、搭乗口へと向かうことになった。百合子が車の運転をしてくれてきたのであるが、見送りにきてくれた星子や百合子、弥生さんともここでお別れである。礼を述べて、税関の検問を通る。今回はパソコンを持ってきているので、それで荷物が引っかかる。また携帯電話もひっかかってしまった。税関を無事に通り抜け、搭乗口で待つことになった。手続き所が長蛇の列であったのは、我々が乗る前の便の手続きであったので、搭乗口は大勢の人が待っており、その便が出発した後はほとんど待ち人がいなくなる。あまり早く手続きをしてしまったようだ。しかし、余裕があったほうが楽である。両替をしたり、買い物をするにも余裕であった。




成田空港に見送りに来てくれた家族



フィンランドヘルシンキ空港ターミナルビルのロビー



ヘルシンキ空港の飛行場




 成田空港を午前11時に飛び立ち、フィランドのヘルシンキ空港に15時15分に予定通り到着する。そこでも係員が車椅子で待っていてくれた。税関を通って登場口まで連れて行ってくれる。そこで待つこと2時間10分、そして17時25分にヘルシンキを出発し、予定通り20時20分にバルセロナ空港に着く。荷物がなかなか出てこないので、随分と待たされた。ようやく荷物を受け取り、羊子と再会するのは21時頃である。羊子の知人が車を提供してくれており、その人のお世話をいただいて羊子の家に着いたのは22時頃であった。すぐにシャワーを浴びて、夕食をいただく。今回のフライトはスムーズに行き、何の苦労もなかったのであるが、やはりフライトは緊張の連続である。なにしろ日本の昼間からヨーロッパの昼間に向かうので夜がない。うとうとと軽い眠りをしたものの、ゆっくり眠ったのではない。羊子の家に着いたとたんに疲れがどっと出てきたようだ。羊子が用意してくれた食事をいただきながら、無事に着いたことを神様に感謝したのであった。もはや翌日になっており休むことにした。今回は二ヶ月間のバルセロナ生活が始まったのである。



空港出口に出迎えた羊子を見つけて喜ぶ夫婦