鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<3>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <3>
2012年9月12日「癒しへの道筋」



 連れ合いのスミさんの腰の痛みは相当なものであるようだ。起き上がることも出来ず、介助しても歩くことが困難である。これでは病院に連れて行くのも困難なので救急車を頼むことにした。しかし、救急車に連絡すると、容態を尋ね、お医者さんを紹介するだけである。こちらの救急車はよほどの病人でないと出動しないようだ。それに対して、日本の場合は連絡すれば、容態を事細かに聞くことなく来てくれる。救急車をタクシー代わりに依頼していることが問題にされているのだが。紹介されたお医者さんに来てもらうために電話するが、何回連絡しても電話がつながらない。それで、もう諦めて自分で病院に行くことにした。羊子のマンションは昔ながらの造りであり、エレベーターには車椅子はたたまないと入らない。4人くらいしか乗れないのである。飛行場から羊子の家に来たとき、旅行カバン二つを入れて、人間がようやく三人入れるくらいであった。羊子の家は七階にあり、何とかスミさんを車まで連れて行く。午前9時頃である。



スペイン・バルセロナの救急車


 まず羊子の知人の知り合いの病院に行く。そこでいろいろと検査をしてもらう。結局、その病院からの要請で、羊子の住む地域管轄のサン・パウ病院を紹介される。再びそこで諸検査を受けることになる。このサン・パウ病院は、昨年もスミさんがお世話になっている。顔面を打撲して、この病院で治療したのである。病院であるが、モデルニスモ建築の代表とも言われるドメネク・イ・モンタネールの作であり、いたるところに花模様をたくみに表している。病院であるが観光客が絶えない。この有名な病院で治療を受けたのであるから、名誉といわなければならないのであるが。もしかしたら入院になるかも知れないということであったが、自宅静養ということになった。検査の結果は、腰痛の新しい原因は見当たらず、以前の腰の打撲の再発と言うことである。長い時間、飛行機の中で、狭い椅子に腰掛けていたことが、以前の打撲に影響したという判断である。ちょっとしたことで神経に影響が出たのであろう。帰宅したのは午後9時頃であり、一日中病院の検査を受けていたのである。それでも痛み止めの処置が施されているので、帰宅したときは車椅子に座ることも出来るようなり、夕食も共にいただくことが出来るようになったということである。



モデルニスモ建築のサン・パウ病院



 ということで、この日は一日中、一人で羊子の家で過ごしたことになる。何をして過ごしたのかと言えば、羊子から頼まれていた洗濯物を干すことである。羊子の家は7階であり、最上階である。屋上に洗濯物の干し場がある。その洗濯物干し場に行ったが、他には干していなかった。このマンションは28軒くらいの家があるのだから、どこかの家で干していると思うのであるが、他の家はあまり利用していない。羊子の家にもあるが、窓の外に洗濯干し場があるのである。部屋と部屋の窓の外にロープを張り、滑車がついているので手繰り寄せつつ干すという具合である。しかし、そこに干すと、陽もあたらず、台所の臭気が付いてしまうと羊子は言う。



建て物の空間にある洗濯干場
羊子の家にもあるが、使用しないで屋上の干し場を利用している。



洗濯物を干してからパソコンに向かう。前回、バルセロナで45日間生活したことについては「スペイン滞在記」としてブログで報告している。しかし、スペインに滞在したには違いないが、バルセロナに滞在し、ブルゴスやマドリッドに行った他はどこにも行っていない。スペイン全体を見て歩いたのではないので、「スペイン滞在記」では大げさであった。今回もバルセロナに滞在し、どこにも出かけないことなので、「バルセロナ滞在記」としている。バルセロナに来てから今日で三日目になるが、まだ滞在記を書いていないので、まとめて書くことが出来た。前回は羊子のパソコンを借りたが、古くて使いにくかったので、今回は持参したのである。もっとも持参したパソコンも古いのであるが、結構データが入っているので参照できるのである。
 パソコンにばかり向かっているのも疲れる。持参した五木寛之さんが書いた「親鸞」の文庫本上・下を取り出す。滞在中に読むつもりである。他にも持参したかったが、荷物の関係で持って来られなかった。まあ、ゆっくり味わいつつ読むことにしよう。