鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<302>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<302>
2015年2月13日「豊かな平安をいただきつつ…」



聖書の言葉
だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を良く見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
(マタイによる福音書6章25-26節)



 日々、お恵みのうちに生活が導かれていることを感謝している。今日はその感謝の生活を再び記しておこう。それは、一つには今住んでいる場所、横浜の外れ、隣は三浦半島の始まりであり、その境目付近にある六浦の家に住んでいるということである。この家は私が4歳の時から住むことになる。それまでは、生まれは横須賀市浦郷という場所であり、そこで成長している。しかし、近くに日本軍の追浜飛行場があり、戦争が激しくなり、危険であるからと強制転居させられるのである。それが六浦の現在の場所である。23歳で牧師をめざして神学校に入るので、それからは転々と住む家が変わる。神学校時代は寮生活である。牧師になって、青山教会時代は芝白金や六郷土手に住み、その後は宮城県の陸前古川教会の牧師館に住むことになる。そして、その後は大塚平安教会に就任するので、神奈川県綾瀬市に住むことになったのである。実家に近くなったので、六浦の家にはしばしば行き来する。そして六浦の家に住んでいた両親、長姉が順次亡くなっていくのであるが、無人となった六浦の家だけが残るのである。土地は借地であるが、ここで親の有難さを示されるのである。親は借地権を父の名前と私の名前としていたのである。だから父が亡くなっても土地を返還することもなく、そのまま私の名前で借り続けることができたのである。その様な状況で契約期間が終了するとき、借地を続けるか譲り受けるかの選択となる。そのため工面しつつ譲り受けたのである。65坪の敷地でも半額で購入できたのである。そして、さらにお導きがあり、築60年以上の家を解体し、新しく建てなおしたのであった。2005年に新築したものの大塚平安教会在任中であるので転居することはできない。そして2010年3月に大塚平安教会を退任したので、その4月からこの家の住人となったのであった。従って、この新築の家にはまだ5年しか住んでいない。
 この地域は比較的温暖であり、神奈川県に寒波襲来の時でも、子供たちが住む相模原や海老名地方に雪が降っても、こちらは降らないのである。温暖な三浦半島が近いからである。谷間にある家なので、日照時間は短いのであるが、それでも今の時期は朝9時30分頃には陽が射し、午後4時頃には日影になるので、洗濯物は乾くし、布団干しも日課になっている。時には日向ぼっこをしている。谷間であるので、階段を上って住宅地に出て、そこを通り抜けて国道16号線に出ることもできる。しかし、ここは行き止まりであり、車は通過できないのである。だから静寂そのものである。飛行機の音もなく、車の騒音もなく、カラスや小鳥たちの鳴き声、時にはリスの鳴き声くらいである。隣の家とも結構離れているので、隣家の生活音もない。時々、知人の訪問をいただく。皆さんは一様に静かな場所に讃辞を送ってくださる。こんなに静かな場所に住んでいるのがうらやましいとも。しかし、静けさは不便な面もある。周辺には買い物処が何ひとつないのである。5分も歩けば昔ながらの食品関係の商店があるくらいで、そこでは殆ど買うこともない。そのため車に乗ってはダイエー、横濱屋、ヨークマート、クリエイト等に出かけるのである。品物がないので、ちょっと買ってくると言うわけにはいかない。もうマヨネーズがないのであるが、今度買い物に行ったときに買うことにして、まあ、我慢している訳である。それでも一週間に一度はスミさんと共に車で買い物に出かけている。
 この静かな家で礼拝をささげるようになったのは2010年11月28日からである。その年の3月には大塚平安教会を退任したが、4月から9月までは横浜本牧教会の留守番牧師を担う。10月からは無任所教師となり、どこかの教会の礼拝に出席することになる。当初は私の出身の清水ヶ丘教会、連れ合いのスミさんの高輪教会に出席する。その後、大塚平安教会や横浜本牧教会の新牧師就任式があるので、その時は礼拝から出席したのであった。いよいよ、どこの教会にも行く必要が無くなったとき、この家で、六浦谷間の集会として、たった二人であるが礼拝をささげることにしたのである。一つには、どこの教会にも所属しなくても、毎週の礼拝説教は作成し、それをネットで公開していたことにもよる。説教が用意されているので、ここで礼拝をささげることにしたのである。ここで集会を始めて、ゆくゆくは伝道所にしようとか、教会を開設することは考えていない。たった二人だけの礼拝であるが、時には知人が出席される。相談したい、話を聞いてもらいたいという方もおられる。また久しぶりに旧交を温める意味で来られる方もある。そうであれば、この六浦谷間の集会の使命があると思っているのである。小さな集会であるが、ここには希望がある、または宿り木である、そんな使命があるということ。神様は隠退後の私達に豊かな平安を与えてくださっていると感謝しているのである。



鈴木家の玄関。六浦谷間の集会として皆さんをお待ちしている。



スミさんの楽しみの庭。園芸を楽しんでいる。



毎日の散歩は関東学院の前、侍従川沿いの散歩道を歩く。
正面は野島。



たまにはトンカツ屋さんでおいしいものを食べ…。