鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<301>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<301>
2015年2月11日「再び徒然に…」



聖書の言葉
そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
(エフェソの信徒への手紙4章11-13節)



 隠退牧師の徒然記を再び書き始めることにした。2014年10月21日から2015年1月7日までのブログ、バルセロナ滞在記「聖誕の門を仰ぎ見つつ」はバルセロナ滞在中の12月1日から公開し始めた。そして先日の2月5日に終了している。終了したものの、新しいブログを公開していないのに閲覧くださる方が多く、昨日は140もカウントされている。誠にありがたいことである。バルセロナ滞在記は皆さんにとっても見聞を広め、参考になったと思う。しかし、思わぬ方から閲覧されているとのお便りをいただき、襟を正される思いなのである。年賀状には新年のご挨拶と共に、余白に「ブログを楽しみに読んでいます」との添え書きがあり、日本ばかりではなく外国でもお読みくださっていることを示されているのである。バルセロナ滞在記が終わり、その後は新しく公開していないにも関わらず、カウントが増え続けていることに対して、後ろめたい気持ちがあり、毎日ではなくても、今までのように飛び飛びであるが、こちらの消息をお知らせする意味で再開することにしたのである。今までは、例えば「無任所教師の所見」では、歴史的なことに触れながら記す場合が多かった。自分の歴史ではなく、関わった大塚平安教会、湘北地区、神奈川教区、日本基督教団の歩みに触れながら、渦中にいる自分を含めて報告していたのである。もはやその役目は終わっている。だから、これからは文字通り「隠退牧師の徒然記」を記していくことにしている。
言葉の使い方を記しておけば、もはや現役を隠退しているので、「牧師」とは称さないのであるが、あえて用いている。牧師は教会の御用をしている現役の教師の呼び方であり、現役を退けば「隠退教師」と称するのである。しかし、まだ「牧師」と称しているのは、六浦谷間の集会で礼拝をささげているし、毎週の説教はネットで公開している。月に数回は教会のお招きをいただいて講壇に立たせていただいている。近くでは2月22日は三崎教会、3月1日は清水ヶ丘教会、3月8日は横須賀上町教会のお招きをいただいている。六浦谷間の集会では「週報」まで発行しているし、今年からは六浦谷間の集会の会報を発行することにしている。こうなると現役の牧師と同じような働きをしていることになる。しかし、現役の牧師は「牧会」という務めがある。隠退教師がどんなにいろいろな教会の講壇に立ったとしても「牧会」はない。「牧会」とは教会に連なる皆さんを祈り、信仰を導き、神の国を共に歩む働きをすることである。そうであれば隠退教師でありながら、集会を開き、週報を発行し、説教に向かい、マレーシア、バルセロナマドリッドの集会においても御言葉を取り次いでいるこの隠退教師は、現役の牧師と同じ働きをしていることになる。今まで出会った皆さんのお話しを伺うことも牧会になるということである。以上の理由から、「隠退教師」と称さないで「隠退牧師」と称している。
今回のバルセロナ滞在では、プロテスタント教会の牧師であるという思いが深まったと思う。既にバルセロナ滞在記でも記しているが、カトリック教会の神父さんや皆さんが牧師として認識くださったことである。今回のバルセロナ滞在は娘の羊子がスペイン人と結婚することになり、サグラダ・ファミリアの教会で式を挙げることになったからである。そこの神父さんが、羊子の父親がプロテスタント教会の牧師であることを知り、それなら一緒に結婚式の司式をしましょうと提案してくださる。結婚式の次の日は日曜日であり、サグラダ・ファミリアのミサに出席する。羊子がミサの奏楽をしているからである。すると神父さんは、ミサの終わりの祝祷を共にするよう示してくださったのである。また、12月25日のクリスマス・ミサは羊子の知り合いの別の神父さんの教会で奏楽を依頼され、共に出席したのであるが、そのミサを共に司るよう勧めてくださったのである。プロテスタントの牧師としてミサを共に導いていただきたいということなのである。さらに、羊子のお友達から食事のお招きをいただく。過去二回の滞在でも食事のご招待をいただいているが、今回はそのお友達は食前の感謝のお祈りを求められたのである。この様に振り返ると、この度のバルセロナ滞在は、隠退教師ではなく、改めて「牧師」の使命が深められたということである。その様な意味で、生涯、現役のつもりで、牧師としての使命を深めたいと思ったのである。



六浦谷間の集会、イースター礼拝。再掲。



横須賀上町教会で祝祷をおこなう。再掲。



三崎教会の礼拝説教。再掲



バルセロナカトリック教会でミサを司る。
日本語の奨励を羊子がスペイン語に通訳。再掲。