鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<274>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<274>
2014年8月1日「日本が誇る…」


聖書の言葉
陣営の外に一つの場所を設け、用を足すときは、そこに行きなさい。武器の他に杭を用意し、外でかがむときには、それで穴を掘り、再びそれで排泄物を覆いなさい。あなたの神、主はあなたを救い、敵をあなたに渡すために、陣営の中を歩まれる。陣営は聖なるものである。主があなたの中に何か恥ずべきものをご覧になって、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。
申命記23章13-15節)



 このブログの7月23日付、第271は「公園で安らぎつつ」と題して記している。日本の公園、外国のいくつかの公園を紹介しながら、公園の意義を考えてみる。子ども達も、若者も、高齢者も共に同じ時間帯で喜ぶことが出来る、そういう公園が本来の公園であると記している。そして、日本の公園には外国にはない良さがあるということを記している。それは、日本の公園にはトイレがあるということである。外国の著名な公園でも、トイレなるものがない場合がある。まったくないのではなく、ちゃんと設置されている公園もあるだろう。しかし、日本の場合、ある程度の広さがあれば、ほとんどの公園にはトイレがあるのである。それも、最近は順次造りなおしているので、かなりきれいなトイレが設置されている。トイレが完備されているのは何も公園ばかりではなく、公共施設には当然のことながらトイレがある。それもウォーシュレットであり、ありがたい設備となっている。最近のコンビニエンス・ストアーはみんなウォーシュレットになっている。
 スペイン滞在中、羊子のピアノコンサートでブルゴスとい町に行く。そこにある古いカトリック教会を見学する。入場料を支払っての見学である。いろいろと歴史のあるものが展示されており、聖壇のきらびやかなことは目を見張るばかりである。結構、見学者があるようだ。見学しているうちにも、連れ合いのスミさんがトイレに行きたくなる。受付の人にトイレの場所を聞く。しかし、教会の中には公衆のトイレはないということであった。それでスミさんは外に公衆トイレがあるだろうからと、見学途中であったが退館する。教会の階段で待ち合せたのである。この時は二番目の娘の星子も一緒であり、一通り見学して外に出る。待ち合せている教会の階段でしばらくスミさんを待っていたが帰って来ないのである。少し歩くと長い道筋の公園通りがある。この道は前日にも歩いているので、おそらくこの公園通りのどこかにトイレがあるのかもしれないと探してみる。しかし、どこにもないのである。この時、羊子はコンサートの準備をしていたのであるが、丁度そのとき羊子も来て三人でスミさんを探したのである。教会の前は大きな広場になっている。そのはずれの方で、どうやらスミさん風の人が店から出てきたのである。結局、どこにも公衆トイレがないので、居酒屋のトイレを借りようとする。しかし、断られる。それで、ジュースを注文したらトイレを使わせてくれたのである。
 昨年はマレーシア・クアラルンプールで三ヶ月間過ごした。ミッドバレーという大きなスーパーマーケットに行ったことがある。東洋一大きなスーパーだとの触れ込みである。そこでもスミさんがトイレに行くのであるが、トイレまでかなりの距離を歩いて行かなければならなかった。こんなに大きなスーパーであるので、もっとトイレがあっても良いのに、一ヶ所だけなのである。日本のデパートは、それこそ各階にトイレが設置されている。スペイン・バルセロナの市場でのトイレ経験も忘れられない。この市場にはちゃんとトイレが設置されている。しかし、有料なのである。市場で買い物をして、そのレシートを見せれば使用出来ることになっている。外国のトイレ事情は有料であるほど厳しいということである。トイレのことばかり記しているが、日本のトイレ文化が優れていることを記しておきたいのである。誰もが喜んで使用出来る、そういうトイレが日本にはあるのである。
 観光地に行くと、それなりのトイレが設置されている。歴史的な建物として造られているところもある。明らかにハイカラなトイレづくりもある。楽しいトイレ、不快を感じないトイレ、日本のトイレは自慢のできるトイレなのである。前回も紹介したが、州崎公園や野島公園にあるトイレは楽しさも加わっている。野島公園にあるトイレは、やはり人が多く利用するので、それなりの設備を持っている。本当に使いやすい、不快感など起きない設備になっている。日本の優れたトイレ文化を外国は模範にしてもらいたいと思っている。私がなぜ公衆トイレにこだわるか。暗い思い出を持っているからである。小学校低学年の頃である。日本の敗戦後間もない頃であり、小学校の校舎も軍隊が使っていた建物であったようだ。学校のトイレのあまりにも汚いことが忘れられないのである。オシッコは使用していたが、大きいのになると、入りたくないトイレでもあった。それがいつまでも忘れられないので、公衆トイレが気になっているのである。日本の公衆トイレが、今では世界に発信できるほどであり、喜んでいるのである。



最近新しくした州崎公園の公衆トイレ。
かわいらしくて楽しいトイレである。



野島公園海岸側の公衆トイレ。造り変えたばかりである。




野島公園、野外活動場にある公衆トイレ。覗いて見たくなる。