鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<271>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<271>
2014年7月23日「公園で安らぎつつ」


聖書の言葉
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
(創世記2章8-9節)



 毎日散歩していると、いくつかの公園を見ながら歩くことになる。我が家から上の住宅街を抜けるため長い階段を登る。そして、今度はなだらかに下っていくのであるが、いくつかの小さい公園がある。そして国道16号線に沿って金沢八景方面へと歩いていく。途中、「瀬戸公園」なる小さな公園がある。公園には違いないが、むしろ道行く人が、ちょっと腰かけて休む程度の公園である。ここはしばらく前から工事をしており、出来上がったのは最近である。ベンチも遊具も新しくなり、懸垂器具もあって、むしろ大人向きの公園であるようだ。「瀬戸公園」という名称はふさわしくないと思う。「瀬戸」は瀬戸神社付近と思っている。その瀬戸神社からはかなり離れているのである。むしろ「八景南公園」という名称の方が良いのではないかと思う。
 瀬戸神社の前には琵琶島神社(びわじまじんじゃ)があるが、ここも公園のひとつでもある。瀬戸神社の前を右方面、八景島方面に歩くのであるが、途中に州崎公園がある。この公園も最近オープンしたばかりである。今までのベンチや遊具を新しくし、トイレまで新しくしている。もうずいぶん前に閉鎖し、工事中の札がかけられていた。半年も閉鎖していたのかもしれない。そんなに長く閉鎖していたのは、「芝生の養生」のためであった。今までは砂地であったが、一面芝生にしたのである。芝生であると、余り過激な遊びはできない。たとえば公園内で自転車乗りやサッカー、野球等をしていたが、芝生公園になってからはその様な遊びはしなくなったようだ。むしろ芝生の上を寝転がって遊んでいる。子どもが多いが、結構若いカップルがベンチに座り、平潟湾を見ながら語らっているのを見る。高齢者もベンチに座って子ども達の遊びを見ている。こういう使われ方が本来の公園であると思う。子ども達も若者も、そして高齢者の居場所がある、その様な場こそ公園なのである。
 ここからさらに進んでシーサイドラインの「野島公園駅」に来ると橋があり、そこを渡って野島に入るのである。しばしば記しているが、野島は大きな野島公園なのである。横浜市南部公園とも称するようであるが、野島公園の方が親しみやすい。今までも触れているので多くは記さない。一部はここも工事していた。やはりトイレも建て替え、芝生を植えたりして、安らぎの公園にしている。キャンプ場やバーベキュー場はかなり以前に整備されているようであるが、夏休みに入ったので、連日込み合っている。しばらくは込み合う野島公園であるが、夏も終われば静かな公園に戻る。つい数日前の、夏休みに入る頃までの公園は森閑として、余り人を見ない。それでも散歩をする人、犬の散歩をする人に出会うが、静かな公園であり、この広い敷地の中にいる自分をありがたく思うのである。野島を出て、今度は広大な追浜公園を見ながら歩くのである。この公園には横須賀スタジアムがあり、運動場がいくつもある。テニス場もあり、子ども達が遊ぶ公園もある。広域避難所にもなっているが、追浜には広い安らぎの場があるのである。それらの安らぎの場を見ながら歩く幸せをいただいている。
 公園と言えば、スペイン・バルセロナに滞在したときの公園の安らぎが思い出される。娘の羊子がバルセロナでピアノの演奏活動をしているので、今までも二度ほど赴いている。サグラダ・ファミリアの東側、西側に大きな公園がある。そこにはドッグランがあったり、芝生の場があったり、いろいろな人が訪れる。やはり観光地なので外国人が多い。ベンチもかなり置かれていて、いろいろな人が腰かけているが、高齢者の皆さんが一日座っているのかと思われるほど、いつまでも座っているのである。バルセロナには公園がいくつもあるが、ストリート公園と言われる道路もある。広い道路で、両脇にベンチが置かれ、多くの場合、腰かけては高齢者たちが語らっているのである。バルセロナにはウォーターフロント地区、モンジュイックの丘、シウタデリャ公園等があり、それらの広大な地域を散策したことが忘れられない。フランス・パリではルーブル美術館からオランジュリー美術館を結ぶ長い、それはそれは長いチュルリー公園は、今でも緑のプラタナス並木が忘れられない。イタリア・ローマではいろいろな公園があるが、テルベ川沿いの遊歩道が何よりの安らぎの場であった。世界には安らぎの場がたくさんあるのであるが、行く機会がない。日本だって上野の森公園を始め、安らぎの場は多くあるものだ。わざわざ出かけて行かなくても、住んでいる環境の、すぐ近くにも安らぎの場があることは、何とも喜びである。侍従川沿いの遊歩道、平潟湾沿いの遊歩道、そして野島公園や追浜公園が私の生活の中にあることを喜んでいる。日本の公園には外国にはない良さがある。日本の公園には公衆トイレがある。それも改修されて、かなりきれいなトイレである。外国の公園ではトイレを探すのに苦労するものである。あってもコインを入れる有料トイレなのである。そういう意味では日本の公園は世界一なのかもしれない。
 聖書ではエデンの園から始まって、再び楽園に帰ること、すなわち永遠の生命としての楽園をめざしているのが人間の生命であると示している。生きている今、安らぎの場である公園を求めるのは、聖書が示している楽園から薬園への途上にいるということなのである。また説教になってしまったが…。



新しくなった瀬戸公園。



州崎公園、ここも新しくなっている。右側には公衆トイレもある。
芝生公園にもなっている。