鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<275>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<275>
2014年8月4日「本を借りながら」


聖書の言葉
いと高き方のこの秘密を知るのにふさわしいのはあなただけであった。だから、あなたが見たことをみな、本に書き、隠れた場所にしまいなさい。そして民の中の賢い人々、すなわち、この秘密を理解し、守る心があるとあなたが思う人々に、これを教えなさい。しかしあなたは、あと七日間ここにとどまりなさい。そうすれば、いと高き方があなたに示そうと考えられることは何でも、あなたに示される。
エズララテン語12章36-39節)



 図書館はどこの市町村にもあるもので、私達が住んでいる横浜市金沢区にもある。横浜の住民になり4年を経ているが、最近になって図書館カードを連れ合いのスミさんと共に取得する。横浜は西区老松町に中央図書館があり、18区すべてに図書館がある。更に県立図書館もある。また区内の町村にも小規模ながら図書室がある。そして大学も図書館を提供している。とりわけ関東学院横浜市立大学等が近辺にあるので、利用しようと思えば、本を借りる場所はたくさんあるということだ。大学の図書館は何かのテーマで研究する場合に限られているようで、だからこれらの図書館は利用しないであろう。
 金沢図書館は金沢八景駅の近くにある。ダイエーというスーパーマーケットがあるが、国道16号線を挟んで向かい側にある。既に連れ合いのスミさんが利用するようになっており、借りるときは車で行ったが、返却の時は私の散歩のついでである。金沢図書館まで歩いても30分くらいである。図書館はいろいろな人が利用しているようだ。閲覧室は満室までではないが、結構多くの人々が読書している。それも高齢者が多いようだ。それもそうだろう。週日の日中、図書館を利用できるのは仕事をしていない人たちなのだから。
 今後は一般の本で利用することになるだろうと思っている。もう本は購入しない方向であり、読みたい本があれば図書館で借りたらよい。本については、とにかく牧師の道を選んでからというもの、常に本を購入することを考えていた。もちろん牧師の道の専門書である。牧師になって、地方の教会に赴任した場合、何よりも持っている本が頼りになる。一般の本は図書館に行けばよいのであるが、専門書となれば、自分の書棚以外にはないのである。牧師に関する専門書で良いのであるが、私の場合、余計な本まで持っているので、置く場所に困っているのである。何しろこの家に転居して、いまだに段ボールに入れたままの本がある。よくもこんなに本を集めたものだと思っている。しかし、書棚に並べられている本の背中を見るだけでも、なんとなく喜びが出てくるようだ。このような大切な本を持っているという喜びなのである。
 今でも、もちろん本は必要であるが、昔ほど本の必要がなくなっているのである。分らない言葉、あるいは項目等、それらをすぐに解決するために本を集めておいたのであるが、今はパソコンが解決してくれるのである。辞書を引くより、パソコンで調べる方が多くなっているのである。関連する項目もすべて解説されているのである。そうすると、昔求めておいた本はすべて無駄であるのか。そんなことはない。以前にも記しているが、昔そろえておいた本が、思わぬ働きをしてくれている。たとえば、小学館発行の「日本国語大辞典」全10巻は、時々わからない言葉のために開いている。それと共に、新しく言葉を知るために頁を繰っているのである。こんな言葉があるんだ、というわけで喜んだことがある。
 図書館で借りる本は、当然のことながら、大切に扱わなければならない。大事な部分にアンダーラインを引いたり、チェックしたりすることはできないし、書き込みだってもちろん禁止である。だから図書館で借りた本を読む場合、メモ用紙なりノートをそばに置いておかなければならないのである。そうなると、本はやはり自分のためでなければならないのである。
 自分が持っている、図書館で借りる、いずれにしても読もうとする姿勢がある限り、今のところ元気であるという証拠になるだろう。だから時間があったら、まだ段ボールに入っている本たちにまみえることにしよう。



横浜市金沢図書館のたたずまい。