鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<276>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<276>
2014年8月6日「思い出が消されつつ」


聖書の言葉
わたしは天にいます神に祈って、王に答えた。「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」
(ネヘミヤ記2章4-5節)



 今日は広島に原子爆弾が投下された日であり、記念式典が行われ、悲しみのお祈りがささげられている。原爆ドームが今でも残されており、後世に伝える原爆の恐ろしさであり、そのままの形をとどめてもらいたいものである。今日の朝のテレビでも放映していたが、若い人たちに「8月6日は何の日であるか知っていますか」と尋ねる。すると、「知らない」と言ったり、「甲子園かな」なんて答えている。原子爆弾投下の悲しむべき日であることは、知らないし、聞いたこともないのであろうか。その意味でも、原爆ドームは後世にいつまでも残してもらいたいのである。原爆投下によって広島の街は壊滅し、見る影もなくなる。しかし、人間のたくましい努力は、今では跡形もなく復興し、原爆が落とされた証拠がどこにも残っていない。そういう言い方は間違いでもある。人の心には深い傷となっているし、被爆で苦しむ人々がおられるからである。街並みは変化しても、歴史は変わらないし、変えてはならない。そのためにも原爆ドームが証しをしていくことである。
 街並みが変わることを記しておきたいのに、原爆投下で始めているのは間違いであるかもしれない。しかし、ちょうど今日が原爆記念日なので、思いを馳せたのである。記しておきたいのは金沢八景駅前の整理である。金沢八景駅前は、広場もなく、かといって商店街が続くわけではなく、他の市町村を考えると、発展が遅れていると思われる。2010年4月に金沢区六浦にある我が家に転居したが、その頃も開発が歌われていながら手が付けられていなかった。それでも徐々に土地の整備が行われているようであった。ところが昨年あたりから急激に工事が行われるようになってきたのである。金沢八景といえば、ゴリラが頭にひらめくほど、パチンコ屋の屋上に飾られているゴリラが象徴的であった。それが今では無くなり、パチンコ屋も転居しており、駅前の道路整備が進展しているようである。金沢八景駅前は開発ではなく、区画整理をするということである。広場を造り、広場を囲むようにして商店街が出来るという。もし開発であれば、いろいろな計画のもとにデパートなりスーパーが建設されるのであるが、区画整理であるので、主体は地権者が自由に目的の商店を造るのである。従って、広場が出来て便利になるが、雑然とした広場であり、趣きもない駅前商店街になるようだ。期待されているのはシーサイドライン京急線がドッキングするようである。2016年には駅構内が一緒になり、利用する人たちには大変便利となるようだ。
 金沢文庫駅も駅前の整備を進めている。こちらは駅前を開発することで地権者と話し合っているということであるが、地権者の主張と開発者側の意見が合わず、まだしばらくは旧態依然が続くのであろう。それに対して金沢八景駅の駅前広場は区画整理なので、工事が早く進められているのである。後2、3年もすれば金沢八景駅前は随分と様変わりすることであろう。楽しみなことでもある。我が家が利用するのは金沢八景駅からの逗子線であり、次の駅の六浦駅である。我が家から六浦駅まで私の足で15分くらいである。金沢八景駅までは20分くらいなのであるが、多少は近いというわけである。金沢八景駅は、今では快速特急が止まるようになったが、昨年までは止まらなかった。しかし、逗子線につながっているし、シーサイドラインにも連絡できるので、やはり快速特急は止まらなければならないのである。昔は逗子線として逗子駅金沢八景駅の折り返しであった。今は逗子線を走る電車はエアポート急行羽田空港行きになっている。横浜に出かける場合、わざわざ快速特急に乗り換えなくても、このまま急行で行くのである。そんなに時間も変わらないのである。
 金沢八景駅の駅前は随分と変わるであろう。いろいろな思いがあるだけに残念でもあり、新しい街並みに期待もしている。しかし、変わらない場所がある。それは駅を出て左に行くとトンネルがある。それは線路の下のトンネルをくぐって横浜市立大学等に行くのである。昔からこのトンネルをくぐっては市大付近に出かけたものである。そして、いまでもエクステンション講座で横浜市立大学へ行くので、ひんやりとしたトンネルを抜けるのを楽しみにしているのである。駅前は変化しても、変わることのないトンネルを喜んでいる。



京急線金沢八景駅」ホームに止まっている電車と、それが良く見えるようになった空き地。



駅前広場は狭い土地であり、今広くしているところである。