鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<215>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<215>
2013年12月9日「お呼びの声が」


聖書の言葉
主は三度サムエルを呼んだ。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話ください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
(サムエル記上3章8-9節)



毎月第二日曜日は横須賀上町教会の礼拝に招かれ、説教と聖餐式を担当させていただいている。隠退牧師の身分で、奉仕の場が与えられていること、心から感謝している。また、次週15日は三崎教会の礼拝に招かれている。こちらは二ヶ月に一度の割合であるが、お招き下さることを感謝しているのである。12月8日の礼拝は待降節第二主日であり、二本のローソクの明かりを示されながらの礼拝であった。クリスマスが近くなり、旧約聖書の神様の御言葉を示され、神様の御言葉の成就として主イエス・キリストが出現するのであるが、神様の御言葉にどのように向うかがメッセージなのである。聖書はエレミヤ書36章1節から10節、マルコによる福音書7章1節から13節である。エレミヤ書では神様の御言葉を拒否する人々が示され、マルコによる福音書では神様の御言葉を都合よく変えてしまう人々の姿を示している。二つの聖書は神様の御言葉に真に立ち帰ることを示しているのである。御言葉を基とするならば、祝福の歩みが導かれるのである。
このような御言葉を示された礼拝であり、その後はお交わりのひとときがある。お茶をいただきながら歓談する。礼拝と共に教会の皆さんのお交わりが導かれること、そこに導きがあり、教会に深く結び付けられるのである。礼拝により信仰が養われるのであるが、教会の皆さんのお交わりもまた信仰を導く基なのである。教会によっては礼拝が終わると、何の交わりもなく帰宅するだけである。折角、御言葉に養われたのに、人間的な交わりにより、御言葉が失われると理解しているのである。それはそれで御言葉に向かう姿勢であるので、何も言うことはない。しかし、御言葉を与えられ、教会員のお交わりが深まる時、御言葉は更に生きて働くことも確かである。教会は喜びの群れであり、祝福の群れなのである。それはまた、教会と共に歩む幼稚園にあっても同じことが言える。もともとは大塚平安教会の附属のドレーパー記念幼稚園であったが、今では学校法人となっており、設置主体を異にするようになっているが、母体は大塚平安教会なのである。祝福の教会は祝福の幼稚園であるということである。
横須賀上町教会の礼拝が終わり、自宅に帰宅する。一休みしてメールを開くと、ドレーパー記念幼稚園の園長から「お知らせ」があった。卒業生の動向を知らせて下さったのである。一つは卒業生の訃報であり、誠に心が痛むことであり、あまりはっきりと思い出せないのであるが、天にあってイエス様に迎えられ、祝福されることをお祈りしたのであった。卒業生のお子さんが聾唖学校に通っており、訓練のためにも健常児と一緒に過ごす指導を受けている。そのため、お母さんは自分が卒業したドレーパー記念幼稚園に通わせることにしたのである。毎日ではないが、週日の一日をドレーパー記念幼稚園で過ごす、祝福の成長が導かれることをお祈りしている。さらに卒業生が大塚平安教会の礼拝に出席されたことも報告されている。もうかれこれ40歳にも届く年齢になっておられるが、難病を持ち入院されているのであるが、ご両親と共に車椅子で出席されたと言われる。名前が記されていたが、私達夫婦も良く存じている方である。幼稚園を卒業し、引き続き教会学校にも出席していたからである。その後、転居されたということで、在任中はお会いすることはなかったが、その方が再び教会に出席されたのである。最初に本日の礼拝における聖書を記したが、神様のお呼びの声、御言葉を聞かれて教会に来られたのである。いや、戻ってきたと言うべきであろう。
30年間、牧師として大塚平安教会に、園長としてドレーパー記念幼稚園に仕えてきたが、多くの皆さんとの出会いがあった。皆さんと共に聖書に向かいつつ歩んできたのである。その後は教会に来られなくなった方、幼稚園を卒業して、社会の中で生きるようになった皆さんである。しかし、どこかで神様の「お呼びの声」を聞くのである。神様の御言葉はお呼びの声でもあり、祝福へとお導き下さるのである。昔、幼稚園の卒業生が牧師を訪ねてきた。大学受験中の浪人生活をしており、勉強に疲れたと言って牧師を訪ねたのである。その後、大学受験は合格するが、同時に病が発覚する。腰痛であると思って治療していたが、腫瘍が見つかるのである。結局、手遅れで下半身麻痺になり、車椅子の生活になるが、元気に闘病生活をする。しかし、病状が進み、弱冠21歳で神様の御もとに行ったのである。彼もまた神様のお呼びの声を聞いて牧師を訪ねたのである。神様のお呼びの声に素直に従う皆さんであることをお祈りしている。



毎年11月23日に開催される幼稚園のバザー。
多くの卒業生やその家族がこられる。
帰ってくる、と言うべきか。