鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<366>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<366>
2015年8月19日「大事なことを指し示しつつ」


聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
ヨハネによる福音書4章23-24節)


最近のブログは、昔の写真を見ながら当時を振り返って記している。いわば写真の説明をしているのである。しかし、今回は昔の写真から離れて、今の出来事を記しておくことにする。今の出来事と言っても、やはり昔のことに触れながらである。昨日の8月18日に伊藤恵子さんの告別式が相模原教会で執り行われた。去る8月9日に95歳で召天されたのである。私の大塚平安教会における30年間においても、良いお交わりをいただいており、大塚平安教会と幼稚園の歴史においてお世話になっているのである。昨年4月26日、ドレーパー先生の記念像除幕式があり、その時、歴代の幼稚園の先生たちにも出席していただいたが、伊藤恵子先生も出席された。ドレーパー先生の記念像と言っても、そのお働きのイメージであり、ドレーパー先生そのものの銅像というものではない。子どもたちと手を繋いでいる記念像は、私には伊藤恵子先生に似ていると思わせられたのである。伊藤恵子先生は1964年の一年間であるが、幼稚園の先生としてお手伝いくださっている。その時はお連れ合いの伊藤忠利先生は横浜上原教会の牧師であった。ドレーパー記念幼稚園は1962年に開設されたが、開設にあたり、横浜上原教会からいろいろな援助をいただいている。ミス・ドレーパー先生の父上、ドレーパー宣教師が横浜上原教会と関わりながら、この大塚の地に伝道に来られ、娘のミス・ドレーパー先生が季節託児所を開設するようになる。大塚平安教会の草創期はメソジスト系の牧師の伝道が行われており、横浜上原教会の支援をいただきながら設立されたのが大塚平安教会でもある。伊藤恵子先生が短い期間であるが、幼稚園を応援して下さったのも、その様な背景があるのである。そして、伊藤忠利先生は1966年に相模原教会牧師に就任される。そして、ドレーパー記念幼稚園が1977年に学校法人に設置形態を変えたとき、その時から学校法人大塚平安学園理事に就任されている。私が1979年に大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長及び理事長に就任したとき、伊藤忠利先生はお元気に理事を担ってくださっていたのである。
以上のような支援をいただきながらドレーパー記念幼稚園の発展がある。そして、1987年6月7日にドレーパー記念幼稚園創立25周年記念のお祝いを行う。その25周年には、今までお世話になった皆さんへ感謝状と記念品を差し上げたのである。その中に伊藤忠利先生もおられたのである。ところが伊藤先生はご入院中であり、出席できなかったので、後日ご入院の病院に赴き、感謝状を差し上げたのであった。入院される前、大分お身体が弱くなり、幼稚園の理事会にはお連れ合いの恵子先生が車に乗せて出席されることもあったのである。
葬儀の式辞を聞きながら、改めて伊藤恵子さんと言う信仰者を示されたのであった。礼拝に出席することを何よりの喜びとしていたと言われる。いつも教会の礼拝を中心にされながら歩まれていたのである。その様な信仰を式辞において示されたとき、相模原教会の新会堂献堂式を思い出していた。1996年に新しい会堂が与えられ、パイプオルガンも設置しての歩みとなった。その献堂式には神奈川教区議長として出席することになる。その時、私は開会時間を間違えていたのである。JR横浜線矢部駅におりると、相模原教会は駅からさほど離れてはいない。駅を降りて教会に向かって歩いていると、教会の玄関前に伊藤恵子先生がおられる。玄関を指さし、そして走るような素振りを私に送っているのである。もう献堂式が始まっているから、「走れ、走れ」との合図なのである。玄関を指さしては「走れ」の合図を送っている。だから、促されて小走りに教会に行く。「もう始まっていますよ」と言われ、すぐに礼拝堂に伴われ、聖壇へと導いてくださったのである。何とか祝辞の時間に間に合ったが、駅を降りても呑気に教会に向かって歩いている私に、「走れ、走れ」の合図が重く思い出されている。
葬儀ではそのことを思いだし、伊藤恵子先生が、皆さんに教会を指さしながら、「礼拝に走ってきなさい」と招いておられると示されたのであった。信仰を喜びつつ歩んだ皆さんの証しは、何と大きな足跡になっていることだろうか。



ドレーパー先生の記念像。



記念像除幕式の時。右から二人目の伊藤恵子先生。
ドレーパー先生の記念像と似ていないだろうか。



伊藤恵子先生の葬儀。



教会の玄関前に置かれている葬儀案内。