鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<216>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<216>
2013年12月12日「寄る年波の中で船を漕ぎ」


聖書の言葉
エスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人はあらたに生まれなければ、神の国をみることはできない」。ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができるでしょうか。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」。イエスはお答えになった。「だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。
ヨハネによる福音書3章3-5節)



高齢者がどのように生きるのか、大きな課題のようである。先日もNHKテレビの番組で、高齢者の生き方について紹介していた。永年、職務を担い、会社を担い、社会に貢献してきて、定年により家で過ごすようになった時、何をして良いかわからない人が多いという。中には定年を待ちわびており、定年になるや旅行三昧で過ごしている人もいるという。あるいは趣味を生かして、今まで以上に趣味に没頭する人もいる。しかし、多くの場合、何をすることもなく家で過ごしているのだという。永年、職務に生きてきて、台所なんかに入ったこともない人は、ご飯も炊けないし、味噌汁を作るなんて考えも及ばない。お連れ合いが作ってくれるのを待っているのである。テレビの番組はそのような人々を取り上げながら、地域に溶け込んで行く人々を紹介している。今までガス会社に勤めていた人は、嘱託としてガス会社に入り、若い人と共にガス器具の点検をするようになったという。主体的には若い社員がするのであるが、そばにいて助言をするのだという。病院で介助のボランティアをするようになった人、町の歩道の掃除や通学する子供たちを見守る役目をする人、その気になれば高齢者でも、むしろ高齢者だからこそできる職域があるのである。本人が今でも自分が必要とされているという意識を持つことなのだ。家の中にいても、テレビを見るか本を読むかである。それでも散歩に出かける人は良い方である。私も夕方になると散歩に出るが、結構高齢者が散歩している。独りで、夫婦で、そして犬と共に、である。
そのような高齢者の実態を示されながら、高齢者となってしまった自分自身を思うのであった。しかし、高齢者であっても、私の場合は、まだ現役時代の職務がつながっているのである。去る11月末は六浦谷間の集会を始めてから三周年になる。2010年3月に30年間勤めた大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園を退任する。しかし、その4月からは9月までは横浜本牧教会の代務者を務める。合わせて同教会の附属幼稚園の園長にも就任するのである。その時は71歳になっていた。9月まで代務者、園長を務めたが、10月からはそれらの職務が終わり、ようやくすべての職務から解放されたのである。日本基督教団の教師がどこの教会にも所属しない場合は無任所教師と称する。無任所教師は教会の責任を持たなくなるので、どこかの教会に出席することになる。退任する前、連れ合いのスミさんと、どこの教会に出席するか、いつも話題にしていたことである。私の出身の清水ヶ丘教会、連れ合いの出身である高輪教会の礼拝に出席することも選択肢であった。そう言う中で2010年11月28日、六浦谷間の集会として自宅で礼拝をささげるようになった。9月で横浜本牧教会の代務者が終わり、10月からはどこの教会にも所属しないのであるが、土曜日にはいつものように説教ができあがっていたのである。その説教はブログで公開もしている。説教が作成されているのであるから、ここは二人で礼拝をささげようということで集会を始めたのであった。大塚平安教会の教会員が追浜におられる娘さんと共に過ごしておられるが、私達の集会を知り、毎週ではないが出席されるようになる。その他、私達の子供達、また知人も時には出席される。しかし、基本的にはたった二人だけの礼拝なのである。そのために説教を作成し、今は週報を発行している。月報の発行まで考えているのだが。
2011年4月から二ヶ月間、スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子のもとで過ごす。滞在中、パリを訪れ三大美術館であるルーブルオランジュリー、オルセー美術館を見学できたことは良い経験にもなる。そして滞在中に72歳になり、羊子のお友達もお祝いしてくれたのであった。5月中旬に帰国したが、このままいつまでも無任所教師でいるのではなく、隠退を決意するのである。そして、2011年6月1日に日本基督教団に隠退届を提出する。無任所教師から隠退教師になったわけであるが、前記したように隠退しても現役と同じようなことをしているのである。高齢者になっているが、私の場合、説教を作成するために聖書に向かうこと二日、三日である。そして週報を発行している。教会の牧師として牧会という職務がないが、それでも在任中の皆さんと関わり、幼稚園の卒業生の成長を見守り、また病であれば祈りつつ覚えるのであった。2013年、もはや74歳になっている。74歳の誕生日はマレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師を務めており、スミさんと共にクアラルンプールの牧師館で誕生会を持ったのである。六浦谷間の集会がどこまで続くか、まあ元気なうちは続けられるであろう。いくつかの作業をしなければならない。説教集の自作出版、ブログ「常夏の国にて」(マレーシア・クアラルンプール滞在記)を冊子にすること、更に「隠退牧師の徒然記」も。高齢者であっても、今までの職務を続けている。高齢者に違いないが、未だに車を運転しているし、高齢者マークを車に付けたがらないでいる。寄る年波の中で船を漕いでいる、大袈裟な表現かな。



スペイン・バルセロナで羊子のお友達の皆さんからもお祝いされての
72歳の誕生日。



マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会ボランティア牧師在任中、
74歳の誕生日を連れ合いのスミさんと共にお祝いする。