鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<217>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<217>
2013年12月14日「のんびりと歩を進め」


聖書の言葉
高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振って声を上げよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神、見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。
イザヤ書40章9-10節)



12月12日、朝から快晴で、風もなく、良いお天気になる。こういう日は家の中でパソコンに向かったり、読書をするのではなく、やはり徘徊したくなるのである。それでその日は久しぶりに鷹取山へ行くことにした。数年前にも鷹取山へ行き、神武寺へ抜けるハイキングコースを歩いている。今回も同じコースをたどることにした。鷹取山へは我が家の上の方に広がっている住宅地を抜ければ行かれるところである。歩く度に昔を思い出すのであるが、住宅地はすべて里山であった。その里山の峰の山道を歩いて鷹取山へ行ったのであった。歩いているとかなり胴体が太い蛇が道を横切っている。しばらく横切るのを待ってから歩きだしていたことが思い出の中にある。今では鷹取山のすぐ下まで住宅地になっている。昔の面影は全くなくなっているのであるが、鷹取山そのものはさほど変化がないようである。鷹取山は岩を切りだした山である。切り出した岩は塀等に使われていた。しかし、この岩は柔らかめのもので、関東大震災により塀等が倒壊し死者まで出たと言われる。そのため、以後は鷹取山の岩は使われなくなっているが、登山愛好家がロッククライミングをするようになり、また神武寺や田浦、東逗子へ抜けるハイキングコースもあり、結構親しまれている。標高は139mにすぎない。
今は鷹取山公園として整備されている。その公園で一休みしてると、岩場あたりから賑やかな声が聞こえている。岩登りをしている人々がいた。多くは年配の皆さんであり、女性も混じっている。鷹取山は石を切り出したところであり、垂直の岩場があちらこちらにある。その垂直の岩登りをしているのである。皆さん楽しそうに、順次岩登りをしている。こんな楽しみ方もあるものである。岩登りのために遠くの山に行かなくても、都会の中でできるのであるから、いつでも楽しむことができる。山登りはしてきたが、岩登りはしたことがない。手足に力を注ぎながらの岩登りは体全体の運動になるのであろう。岩登りと言ってもハーケンやカラビナを使用してのロッククライミングは禁止されている。岩が弱いのでハーケンが抜けてしまい、大怪我をしたことがあるからである。だから今は安全綱をつけて手探りで登るのである。
いくつかのグループの岩登りを見学しながら神武寺へのハイキングコースを歩き始める。家から鷹取山までは住宅街を歩いてきたが、ここから神武寺まで山道である。本来、神武寺から登ってくるべきであるが、登りもしないで下山の道を歩くことになる。だから楽なのであるが、山道は下山の方が注意を要するのである。鎖が張られた岩場の道すらある。かなり困難な道があるのである。むしろ丹沢の大倉尾根登山の方が楽な道である。そのような困難な岩場の道もあるが、落ち葉を踏みしめて歩く道もあり、まさにハイキングの思いであった。数人の人と出会うが、いずれも私のように高齢者の皆さんである。もうかなり麓に近づいたとき、若い女性が走りながら鷹取山へ向かっている。すごいなあ、と思う。鷹取山から麓まで40分くらいである。そこから京急線神武寺駅まで、前回は歩いて行き、電車に乗って六浦駅で降りた。しかし、麓の逗子中学から神武寺駅まで結構歩くことになる。それなら六浦まで歩くことにしたのである。それも30分くらい歩けば六浦駅に着くのである。
ところで神武寺は正式には医王山来迎院神武寺と称し、天台宗の寺院である。逗子八景のひとつであると言われる。金沢八景に因んで、どこでも八景と言われる名所があるものである。八景と言うが状況的な景色と言うことである。金沢八景と逗子八景を並べてみる。括弧内は逗子八景である。乙舳の帰帆(小坪の帰帆)、平潟の落雁(沼間の落雁)、称名の晩鐘(神武寺の晩鐘)、野島の夕照(田超川の夕照)、内川の暮雪(被露山の暮雪)、小泉の夜雨(山の根の夜雨)、瀬戸の秋月(浪子不動の秋月)、洲崎の晴嵐(桜山の晴嵐)と言うことになる。
このように見ると場景的な景色は身近にあるというもの。因みに自宅付近を言うとしたら「六浦谷間の静佇(せいちょ)」であろうか。静かなるたたずまいの意味のつもりであるが。



鷹取山の岩登り。



鷹取山から神武寺へのハイキングコース。
岩場の道は鎖につかまりながら。



東京湾を見る。向こうは千葉の房総半島。



神武寺の山門。