鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<246>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<246>
2014年5月3日「記念としての原点」



聖書の言葉
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着るものを与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
(創世記28章20-22節)




30年間、理事長・園長として在職したドレーパー記念幼稚園は2012年をもって創立50周年を迎えている。節目でもあるので記念の時を持つ予定でもあった。しかし、2010年3月に鈴木伸治園長が退任し、佐竹和平園長が就任する。園長の異動があったりして50周年記念事業は困難である。幼稚園理事会としても、いろいろと模索していたようであるが、ドレーパー先生の記念会ということで50周年ということにしたのである。ドレーパー記念幼稚園はミス・ウィニフレッド・ドレーパー先生が幼児教育の草分けとなってくださったので、幼稚園を開設するときお名前を記念させていただいたのであった。しかし、今日までお名前をもって記念として歩んできたが、ドレーパー先生に対する記念会なるものは一度も開いていない。その意味でも50周年の一環としてドレーパー先生記念会を開催することは、当を得たことであると示されている。そして、ドレーパー先生を記念するので、記念像が設置されたのである。
そのドレーパー先生記念会が去る4月26日午前11時より開催された。かねてより佐竹和平現園長より、記念会を開催するので、ぜひ出席してもらいたいと連絡を受けていた。実は、この日の夕刻、羊子がピアノを演奏するディナーコンサートに出席する予定であり、連れ合いのスミさんが胆のう切除の手術をしたばかりなので、体調を考えて、記念会はどうしたものかと思案していたのである。しかし、佐竹園長の再三の要請があり、これは長年にわたりドレーパー記念幼稚園の園長を務めた責任もあり、連れ合いのスミさんと共に出席することにしたのである。26日の前日、25日に大塚平安教会の中にある牧師館の屋根裏をチェックするために、丁度スペイン在住の羊子が一時帰国していたので、家族で教会に行ったことについては記している。連れ合いのスミさんは、もちろん屋根裏には入らないで礼拝堂で知人とお話しなどしていた。そして、このまま家に帰るのではなく、三番目の子供が大塚平安教会に比較的近いところに住んでいるので、子どもの家に泊まることにしたのである。翌日の26日はドレーパー先生記念会に出席するものの電車で来なければならないからである。従って、26日は私が一人で電車で来て記念会に出席したのである。
記念会には初代園長・理事長の乙幡和雄先生が出席された。そして創立期に幼稚園の先生をされた伊藤恵子先生も出席され、久しぶりの再会を喜ぶ。恵子先生は私が1979年にドレーパー記念幼稚園の園長・理事長に就任したとき、相模原教会牧師の伊藤忠利先生が理事であり、お連れ合いでもあった。既に天におられる伊藤忠利先生と共に恵子先生ともお交わりを深めていたのである。そして今までの幼稚園教職員の皆さんが出席された。出席された先生たちは、乙幡和雄先生時代から鈴木伸治園長時代に在任された先生たちであり、懐かしい再会であった。
記念会は大塚平安教会にて菊池丈博牧師の説教をいただく。ドレーパー先生の力強いお働きが神様の御心において実践されたことを御言葉と共に示されたのである。第二部はドレーパー先生の記念像の除幕式であった。記念像はドレーパー先生を像にしたのではなく、ドレーパー先生が幼児に向かう姿をイメージとして像にしているのである。
第三部は幼稚園ホールにて開かれる。ドレーパー記念幼稚園の創立に尽力された角田敏太郎さんのご挨拶をいただく。角田さんには81歳にもなられるが、お元気に出席されており、今のこの時にご挨拶をいただくことは意義あることである。祝会では何故か私が一番先にご挨拶をさせられる。「初代園長はつくりあげることで奔走され、そのご苦労や並々ならぬものであった。しかし、二代目園長は出来上がった幼稚園を運営していればよいのであり、それこそのほほんと取り組んだので、30年も在任してしまったのである。それに対して三代目園長は、のんびりの30年間に刺激をもとめるようになる。三代目が出来上がったものを壊すのか、発展させるのか、これは一般論である。しかし、ドレーパー記念幼稚園の三代目は発展の方向を築いており、ドレーパー先生記念像設置もその一つであり、まことに喜ばしく、希望を持つことができる。安心して今後のドレーパー記念幼稚園の行く末を受け止めている」と挨拶したのであった。
私と連れ合いは午後1時30分には祝会を失礼する。私たちが幼稚園の玄関を出ようとすると、かつて共に幼稚園を担った先生たちが見送りに出てきてくれた。もはや板についたスペイン式のハグを一人一人の先生としてお別れしたのである。小屋敷柴乃布さんが連れ合いのスミさんが腰を痛めているので、さがみ野駅まで車で送ってくださる。心から感謝を申し上げる。
大塚平安教会と共に、ドレーパー記念幼稚園がいよいよ社会の希望であり、礎であり続けるよう祈りつつ…。



ドレーパー記念幼稚園の門付近に設置されたドレーパー先生記念像。



ドレーパー先生記念像除幕式。