鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <61>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <61>
2011年5月17日「帰国」
 


午前5時頃に起床。2、3日前から帰国の準備をしていたが、最終チェックを行う。日本の皆さんへのお土産をいろいろと考えたが、結局は飛行機の荷物重量制限があり、あまり用意できなかった。それでもスミさん、星子、私の旅行カバンが三つあるので、分散して詰め込んだわけである。ロミさんが飛行場で食べるためにサンドウィッチを用意してくれた。三つの大きな旅行カバンがあるため、前日に大きいタクシーを予約していたのであるが、時間になっても来ない。連絡すると手配がされてなかった。それでタクシーを拾い、飛行場に向かう。タクシーの運転手はトランクに旅行カバンを入れるのに苦労したようである。だからその料金も取られてしまった。レシートには書いてないのであるが。
 



バルセロナの飛行場



搭乗時間まで、少し間があるので


フライトは9時45分のスイスインターナショナルエアラインズLX1953/L便である。空港で時間があるのでロミさんが用意してくれたサンドウィッチをいただく。スミさんが歩くのに大変なので車椅子を頼んだ。しかし、搭乗時間が迫っているのに、なかなか係員が来ない。もう断って歩いて行こうかと思ったら係員が来た。身体検査と荷物チェックを通ることにより、羊子とお別れである。そこでスペイン式のお別れを行う。スミさんと私は係員に従って専用のゲートから、星子は一般のゲートからチェックを受け、エレベーター前で落ち合う。ふと見るとゲートの向こうで羊子が手を振っている。かなり遠くになっており、また人々がいるので見えにくいのであるが、羊子は飛び上がっては両手を振っている。やがてエレベーターが来てドアーがしまった時、スミさんは泣いていた。思わず私も涙が出てしまった。また羊子ともしばらくお別れなのである。飛び上がって両手を振っている羊子がいつまでも瞼から離れなかった。45日間、私達を呼び寄せてくれた羊子には心から感謝している。係員は車椅子のスミさんと私達を飛行機の入口まで連れて行ってくれた。




手を振って送ってくれる羊子


 2時間ほどでチューリヒエアポートについた。心配していたのは、11時40分について13時00分の乗継出発である。1時間20分しかない。初めての空港であり、再び身体検査と荷物チェックを受けなければならないのでどうするか。迷ってしまうのではないかと思っていた。こちらに来るときはドイツのフランクフルトで乗り継ぎをしたのであるが、飛行機が遅れたので予定時間のバルセロナ行きには乗れなかった。4時間待って乗り継いだのであるが、むしろそれくらい時間があってよかったのである。フランクフルトでの乗り継ぎ時間は1時間くらいしかなかった。今回もいくらも時間が無いのに、分からなくてもたもたするのではないかと心配していたのである。ところが神様のお導きと思いたい。バルセロナ空港で、もし遅くなるからと車椅子を断っていたら、もたもた騒ぎになったかもしれない。飛行機がチューリヒ空港に着くと飛行機の出口に車椅子の係員が待っていてくれたのである。バルセロナ空港から連絡がされていたのである。その係員が車椅子を押しながら私達を乗り継ぎの搭乗口まで連れて行ってくれたのである。車椅子を頼んだことは本当に幸いし、胸をなでおろしたのであった。さらに成田空港に着いたときも、係員が車椅子を用意して待っていてくれたのである。



チューリヒ空港、搭乗口でフライトの確認をする


 乗り継ぎの飛行機もスイス航空で午後1時に予定通り出発した。日本に向かう飛行機であり客室乗務員は日本人が数名いたので、思いを告げることができた。成田まで約11時間のフライトである。もちろんエコノミーチケットなので、のびのびと座ることができない。それでも、昨日は4時間くらいしか寝ていないので、うとうとと眠っていたようである。チューリヒ午後1時ということは日本時間午後8時くらいである。だから夜の時間帯なのであるが、生活習慣がもはやスペイン時間であるので、体の調整ができないのである。18日午前7時50分、だいたい予定通りの時間で成田に着く。45日間のスペイン・バルセロナの旅は終わった。
 


成田空港には百合子が迎えに来てくれた。
荷物を車まで運んでくれる


成田飛行場には百合子が迎えに来てくれていた。飛行場でお預かりしてきた献金300ユーロの両替をしたりして飛行場を後にしたのは午前9時頃である。2時間ほどで家に着いた。45日間留守をしていたので、庭の草や花がおい茂っていた。スミさんの楽しみが待っていたということ。



庭は草や花がおい茂っていた