鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <60>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <60>
2011年5月16日「最後の晩餐」
 


カタルーニャ音楽堂東北関東大震災救援のためのコンサートが開かれ、深い感動を得て帰宅した。11時頃に帰宅し、最後の晩餐を行った。コンサートもあり、夕食の支度ができないので、ピザやビフテキを事前に用意しており、野菜と共にいただく。お昼の食事の時もコンサートに臨む羊子のためにお祈りしたが、食前にあたり感謝のお祈りをささげたのである。それはコンサートの感謝ばかりではなく、引き続きバルセロナで活躍し、生活するRMさんと羊子を覚えてであった。席上、RMさんにささやかな感謝の記念品を贈った。置時計とイヤリングである。RMさんが羊子と共に生活して居なかったら、羊子は忙しくピアノの演奏活動をしているので、私達はどこにも出られないで家の中に引きこもっていたのではないかと思う。RMさんには本当にお世話になったのである。心から感謝を申し上げる。RMさんことロミさん、本当に45日間、ありがとうございました。スミさん、羊子、星子と共に御礼を申し上げます。
羊子がピアノの演奏活動をしているので忙しく、ロミさんが何かとお世話してくれたのである。スーパーマーケットでの買い物、ショッピングセンターでの買い物、通称バラ公園で開催された東北関東大震災一ヶ月追悼式に連れて行ってくれたり、電気店ミロでの買い物、サン・パウ病院の見学、グエル公園の見学、サン・ジョルディの日にグラシア通りに案内してくれたり、そして今日はカタルーニャ音楽堂に連れて行ってくれた。何よりもスリに遭って警察に同道し、被害状況を通訳してくれたこと、ありがたかった。本当にお世話になったのである。
 ( 滞在中、ロミさんから借りて読んだ塩野七生著「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」と「ルネッサンスの女たち」は、私には大きな刺激を与え、ヨーロッパ史への思いを募らせたのであった。そのため、帰国してから、かねがね塩野七生さんが「ローマ人の物語」を書き全集で出版されていることは知っていたが、新潮文庫本でも出版されていることを知り、買い求めたのである。たまたまブックオフで数巻売られていたので買い求め、後は横浜駅ダイヤモンド地下街にある有隣堂で求めたのである。現在、40巻まで出版されているが、後数巻出版されるようである。このうち2011年7月30日現在、第15巻まで読み進んでいる。これをすべて読み終えたら岩波書店の「世界歴史」を所持しているので読むこと、やはり書棚にあるE・ギボン著「ローマ帝国衰亡史」を読もうと思っている。 )
 最後の晩餐中、4月4日に日本を発ち、45日間のスペイン・バルセロナ生活が始まったのであるが、羊子が強く呼び寄せてくれたことを思いつつ、感謝でいっぱいであった。牧師・園長の現役中は、教団書記の職務もあったので、スペイン行きは不可能であったが、すべての職務を退任しても躊躇していたのである。なかなか重い腰が上がらなかった。それに対して羊子が強く招いてくれたので、ついに決断したのである。ピアノの演奏活動で忙しく過ごすうちにも、私達の面倒を見てくれた。バルセロナについて三日後にはフランスのパリに行き、三大美術館を見学させてくれたのも、忙しい日程の中で割り込むことのできた三日間であったのである。45日間、バルセロナで生活している中で、羊子がどんなにか皆さんから喜ばれ、愛されて活動しているかを肌で感じることができた。それだけで十分である。私達はスペインの観光に来たのではない。羊子と共に生活することが目的であったのである。どこに行っても羊子がよろこばれているのである。それだけで十分スペイン訪問の意味があるのである。
 思えば10年前にスペインに渡り、マーシャル音楽院で研鑽し、ピアニストとしての名声が次第に広がって行き、今ではバルセロナばかりではなくスペインのピアニストになっている。各地で演奏会、コンサートに出演しているのである。「立派になったね」と最後の晩餐をいただきながら、心の中で羊子に言うのであった。
 午前1時、もはや5月17日になっていた。少しでも寝ておかないと、旅立ちにさしつかえる。スペイン生活最後の就寝となった。私の部屋は一人部屋であり、ベッドが置かれている。ここで寝て、ここでブログを書き、ここで読書をしていたのである。この部屋も懐かしい思い出の場所になった。いろいろとお世話になりました、と部屋を見回しながらつぶやく。



ライトアップのサグラダ・ファミリアと共に。