鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <59>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <59>
2011年5月16日「カタルーニャ音楽堂コンサート」
 


今日は、カタルーニャ音楽堂で日本の東北関東大震災救援のためのコンサートが開かれた。スペイン語のプログラムに「がんばれ日本」と日本語で書いてある。羊子のピアノ演奏、ヴァイオリンとチェロの演奏、ソプラノとテナーの独唱とデュエットという内容である。テナーの伴奏、デュエットの伴奏も羊子が担当した。
カタルーニャ音楽堂にはタクシーで赴いた。ここは由緒ある音楽堂であり、散歩から帰って衣服を整えた。正装が必要であるという。家の前でタクシーに乗り、会場へと赴いた。会場には少し早く着いたようである。受付ではお茶のおもてなしをしてくださったお隣りのロリーさんや、階下のカルメンさん等ともお会いした。また、羊子が奏楽奉仕をしているカトリック教会の何人かの皆さんともお会いする。羊子が招待しているのである。入場開始時間になったので、指定された席に向かった。かねがね西洋の音楽堂の内部の様子を写真や映画等で見たことがあるが、本物の音楽堂に入ることができたのである。それも一般席ではなく、特別席といわれる席である。一階席にはバルセロナ日本語で聖書を読む会のSYさんのご家族がおられたので、席まで行き挨拶をした。
( 演奏中は写真撮影が禁止されている。そのため、星子は規則通りに写さなかったのであるが、禁を破って密かに写した人たちから演奏写真をいただくことになるのである。ブログは今の時点で公開しているので、写真も後から手にしたものであり、密かに写した皆さんが、羊子にくださった。その写真を羊子からCDに焼いてもらい、ここで使うことができるのである。 )
カタルーニャ音楽堂バルセロナの旧市街地、ゴシック地区にある。ガウディと同世代の建築家、ドメネク・イ・モンタネールによって1908年に建設されたという。今から100年も昔になる。その頃は世紀末芸術モデルニスモが盛んであり、代表される建物である。ユネスコ世界遺産にも登録されている音楽堂である。チケット売り場や2階バルコニーの柱はモザイクタイルで花模様がちりばめられ、内部の装飾も目を見張る。バルセロナ観光をする人々はガウディの建築を見学するが、このカタルーニャ音楽堂までは足が伸びないようである。それはツアーの事情もあることなので止むを得ないのであるが、この音楽堂を見学してこそバルセロナを見学したことになるのである。



領事の挨拶と報告



この由緒ある音楽堂でコンサートが開かれるのである。しかも日本の災害救済のコンサートなのである。まず、日本の領事官が挨拶と震災の現状報告を行った。15分も原稿を読み続けていた。趣旨が日本の震災救済なので、聴衆は静かに聞いていた。聴衆と言えば、一階席は満席であり、二階席と三階席もほとんど埋まっているほど大勢人々が入場している。2000人もいたのであろうか。私達は横の桟敷席と言われる特別席である。二つ先のブロックには日本のスペイン大使や領事官の特別席になっている。
 


会場。一階席、二階席、三階席



特別席で



まず、バルセロナに在住する子供たちの学校、日本語学校の生徒達が出演し、日本の童謡を合唱した。「春が来た」、「トンボのめがね」、「秋のゆうぐれ」、「雪やこんこん」、「うさぎおいし」等が歌われた。暖かい拍手が贈られた。



バルセロナにある日本語学校の生徒達


そして、羊子が最初にピアノ演奏を行う。三曲を演奏したが、演奏中は静寂であり、ここに人がいるのかと思えるほどであった。演奏が終わると、力強い演奏に拍手喝采が鳴りやまなかった。本来はアンコールに応えるところであるが、後の演奏者があるので、弾くことはなかった。




羊子のピアノ演奏





その後のヴァイオリンとチェロの演奏があり、第二部として日本人のMiki Moriさんのソプラノ独唱があった。声量のある素晴らしいソプラノ独唱であったと思う。最後に出演者と聴衆がバルセロナで歌われている歌を共に歌って終了した。
 





終了してから羊子を待っていると、いろいろな皆さんが挨拶に来られた。羊子が研鑽したマーシャル音楽院の指導者の皆さん、その他の皆さんが、羊子の演奏を高く評価し、喜んでくださったのである。由緒あるカタルーニャ音楽堂での羊子の演奏は宝物となったということ。