鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <23>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <23>
2011年4月21日「バルセロナ旧市街地」
 

サグラダ・ファミリアは毎日見学者が多い。午前8時頃では見かけないが、9時前から入場のため並んでいる。今日は山田修平さんに案内されて、サグラダ・ファミリアの外周見学を星子と共にしたが、12時頃、依然として長い行列で入場を待っていた。外周見学を終え、地下鉄に乗り旧市街地に向かった。電車の中で席が空き、山田さんは私に座るように勧めてくれた。しばらく座っていると、星子が座りたいという。こんなことを言う星子は珍しく、具合が悪いようである。地下鉄を降り、地上に出ると山田さんが星子を気遣ってくれて、Farggiという喫茶店でお茶を飲みつつ休むことにした。コーヒーを飲んだが、星子は水を注文する。日本のように言わなくても水が出るようなことは無い。水は買うのである。また、こちらのコーヒーはとても濃く、従ってカップも小さい。ちびちびと飲むからであろう。因みに、パリでも同じであったが、アイスコーヒーは日本のようではない。コーヒーと共に氷が添えられてくるのである。自分でコーヒーに氷を入れて飲むということであった。
 ゴシック地区は中世の街並みがそのまま残っているといわれる。最初に訪れたのは「王の広場」であった。ここが歴史に残るのは、コロンブスアメリカ大陸を発見し、凱旋報告をカトリック両王イサベル1世・フェルナンド2世)に最初に行った場所とされている。14段の階段があるが、それほど大きな重々しい階段ではない。


王の広場を歩く


古代の写真と実物を見ながら


この辺は4世紀に造られた「ローマの時代の壁」で囲まれており、その時代の石造りの壁がある。地下街と称される場所を地上からガラス越しに見たが、古い物がちゃんと残されていることに驚く。旧市街の中心はカテドラルである。1298年に造られたものが今に残されているのであるが、壮大な建物である。午後1時から入場できるということで、まだその時間の前であったので、一回り見学した。カテドラルの裏にある「ローマの皇帝アウグスト神殿(紀元1世紀頃)」を見学する。イオニア式の4本の石柱が保存されている。当時の神殿の柱でもある。今から2千年も昔のものである。再びカテドラルの大聖堂に戻った。しかし、入場を待つ人々が列を成していたので、今日はあまり時間も無いことなので、中には入らないことにした。
 カテドラルから細い道を少し歩くと「サン・ジャウメ広場」に出る。ここには「ルネッサンス様式の自治政府庁」と13世紀から使用されている「市役所」がある。これらがカタルーニャの政治の中心であるという。建物の上には三本の旗がなびいている。スペインのことは勉強もしないで来てしまったが、旗を見ながら、山田さんの説明を聞き、スペインにおけるバルセロナの位置づけを知ることになる。カタルーニャバルセロナとは地域的に異なると思っていたが、カタルーニャ州の中にあるバルセロナ市であるということである。スペインには17の自治州があるのである。三本の旗はEU旗、カタルーニャ旗、バルセロナ旗である。
 見学として、これらのほかにも水道橋遺跡、星子のためにと有名ブランドの洋服屋、サンタルチア教会等を訪ねる。午後2時にもなっていたので昼食をとることにした。見学して回るうちにも、星子は具合が悪いようである。食事は食べたくないという。羊子に迎えに来てもらうことにし、ランブラス通りのレストランに入って羊子を待つことにした。食事はスパゲッティと野菜サラダを注文した。他にパンにトマトを刷り込み、オリーブオイルをつけたもの。(スパゲッティと書いているが、フィデオアと呼ばれる麺のパエリアである。また、パンにトマト、オリーブ油をつけたものは、カタルーニャ地方独特で、パンコントマテと言われている、と羊子が後で知らせてくれた。)一人前でもかなり量が多い。最初にサラダが出たが、いろいろな野菜が入っており、これも盛りだくさんである。スパゲッティは半分くらいしか食べられなかった。こちらの食べ物は油が多く入り、また具沢山で胸に応える。幾種類かの貝が入っている。食べていると羊子が迎えに来た。羊子は食事前だったので一緒に食べた。多いと思ったが食べ終わった。羊子は自転車で来たが、星子と共にタクシーで帰っていった。こちらの貸し自転車制度は参考になる。登録しておけば、どこでも借りることができ、目的地で乗り捨てることが出来るのである。
 

ミロのモザイクを見る



ランブラス通りにはミロの作品が道に施されている。セラミック細工で、人々はミロの作品であることに気づかないまま、その上を歩いているのである、と山田さんが説明されていた。