鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<390>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<390>
2015年12月17日「異なる文化を体験し 2 」



聖書の言葉
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域巡っていた。第二の川の名はギホン、第三の川の名はチグリス、第四の川の名はユーフラテスであった。
(創世記2章10-14節)



一時帰国した羊子と彼のイグナシオさんは、羊子の知人と会い、食事を共にすること、多くの機会を与えられる。11月1日に清水ヶ丘教会でコンサートが開かれる。羊子の知人、またバルセロナで出会った皆さんもお出でくださる。羊子の演奏をお聴きくださるためであるが、一時帰国した彼らを歓迎するためでもある。従って、演奏会が終わり、夕刻には知人たちが横浜の中華街で接待してくださったのである。11月3日には大塚平安教会の元青年たちが、私達の家に来てくださり、羊子たちを中心に晩餐会を開く。5日には横浜本牧教会の稲本さんや片平さんが中華街にお招きくださる。私達夫婦もお相伴にあずかったのであった。8日には東京の表参道で羊子のレクチャーが開かれる。スペイン関係の音楽について講演したのである。そして、その後は皆さんで食事をしたのである。10日には京都へ向かう。11日に同志社女子大でコンサートが開かれるからである。お招きくださった先生ご夫妻の食事の接待をいただくが、羊子たちもいろいろな店で食事をする。そして、東北の陸前高田、北海道の北見、紋別等を訪問するのであるが、食事の接待、また自分達で食事処に行く。このように記しているのは、彼イグナシオさんの日本の食文化の体験を思っているからである。そのことについては前回報告している。今回、記しておきたいのは、「水」についてである。彼が食文化を体験したとき、日本の食卓には、必ず水またはお茶が出されることである。食事処で頼みもしないのに水やお茶が出されること、バルセロナの食文化では考えられないことなのである。コップの水を飲んでしまえば、すぐに注いでくれる日本の食文化は特別な経験と言っても良い。
バルセロナではレストランでの食卓の水は注文しなければ出されない。ワインや他の飲み物と共に、水は注文しなければならないのであった。レストランで食事をすれば、だいたいはワインを注文する。ワインではなく水を飲みたいのであるが、所望すればワインと同じように支払いの対象となる。だから水を我慢してワインを飲んでしまうのであるが…。言い訳でもある。しかし、やはりワインではなく、食前食後、日本では「お冷」とかお茶を飲む習慣になっている。食後、それとなく水を飲みながら口をゆすぐということができない。まさか、ワインではそれができないのである。もっとも、食後に水でぶくぶくするのはお行儀が悪いことなのだ。人に嫌われるので、絶対にしてはいけないことなのだ。羊子にはいつも注意されていた。しかし、羊子の家にいるときは、ついぶくぶくをやってしまう。
スペイン・バルセロナは水事情があまり良くない。スペインばかりではなく、外国の場合、水は買求めることになっている。もちろん家庭には水道が設置されている。料理にも洗いものにも水道水を使っている。また、お風呂もその水を使用しているのである。料理に使ったり、果物を洗ったりするものの、飲料水となると、やはり買い求めたボトル水なのである。飲めないこともないようであるが、飲む人は少ない。だから、食卓には水のボトルが置かれる。買い物に行けば、水ボトルを買い求めることが常なのである。2011年に滞在したとき、二番目の娘・星子も一緒であり、知人のガイドさんに伴われて旧市街を見学に行く。行く途中から星子の具合が悪いことに気づく。それで電車を降りたとき、喫茶店で一休みしたのである。私たちはコーヒー等を注文したのであるが、星子は水を注文したのである。日本のように喫茶店に入れば、必ず水を出してくれるのであるが、その水だけを飲んで帰る訳にはいかない。むしろ注文した方が、店に入る意味があるのである。星子は風邪であり、羊子に迎えに来てもらい、タクシーで先に帰っていったのである。
バルセロナには立派な、また目を見張るような水道局の建物がある。観光にもなっている建物なのである。そんなに存在感のある水道局の建物なのに、飲料水の存在がないことには、なんとなく怪訝な思いを持つのである。日本の国は飲料水で困ることはない。豊かな自然にはぐくまれた飲料水がある。特に、横浜の生活をするようになって、つくづくとお水が美味しいと思うようになっている。綾瀬時代も飲料水は飲めるのであるが、建物上、二階に住んでいたこともあり、水道の道中が長く、飲料水には適さなかったのである。従って、フィルターをつけて使用していたのであった。高い費用のフィルターであり、横浜に転居しても使うつもりでいた。しかし、その必要はなく、フィルターは物置に眠ったままである。
日本に滞在したイグナシオさんは、日本の豊かな水、それに伴う食文化を体験されたのであった。日本人は外国に滞在して、日本の豊かな水文化を改めて示されるのである。だから食事処に行って、美味しいお冷が出されるのであるから、その上ビールなんか注文しなくても良いのだ。外国ではお金を払っている水なのだ。



抹茶を立てている様子を覗きこむイグナシオさん。



礼儀正しくお辞儀をしていただくことを教えられ。



長谷の大仏を見学。境内で手を洗う風習は外国にはない。
水不足でもったいないことなのだ。



バルセロナの水道局の不思議な建物である。
夜は七色の光を放つ。