鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <21>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <21>
2011年4月20日「本で示されるいくつか」
 

昨日はダウンしてしまったが、今日はみんなの介抱、薬、睡眠等でよくなった。朝も羊子が作ってくれた「おじや」とバナナを食べ、スポーツ飲料のアクエリアスを飲んだりして元気をつけた。幸い今日は出かける予定が入っていない。明日はバルセロナ日本語で聖書を読む会で、先日の集会に山田修平さんが出席されたが、名所のご案内をいただくことになっている。その山田さんは私と同じ年齢であるが、州政府公認観光ガイドの資格を取得されている。ずいぶんと苦労されて資格を取得されたようである。山田さんは日立家電の仕事のため40歳にしてスペインにわたり、今日まで32年間過ごしてきている。そして定年退職後、68歳でガイドの資格を取得したということである。資格を得るには大学に入り、難しいガイドの資格試験に挑戦し、見事に資格を得たのである。そのご苦労話も記載されている著書「バルセロナの不思議に魅せられて」(中経出版)を読ませていただく。これは羊子に贈られたものであるから、この本で大事なところは参考にしているが、さらにこのところに抜粋しておきたい。
 サグラダ・ファミリアと称しているが、日本語で言えば「聖家族贖罪教会」というのが正しい読み方であるという。その教会は羊子の部屋から目の前に見える。見える場面は「受難の門」である。その「受難の門」に裸のキリスト磔刑像が掲げられている。それについて山田さんが著書に記しているので、抜粋しておく。
 「私がここであえて皆様にご紹介したいことがあります。スビラックス師が手掛けた『受難の門』の中の一つの彫刻像であります。この門の中心となるのはキリストの磔刑像であります。これを中心に『最後の晩餐』からキリストがイスカリオテのユダの裏切りでローマ兵士に捕らわれ裁判を受けて拷問にかけられ十字架を背負いゴルゴダの丘を登り、裸にされ十字架に架けられ死んで岩室に葬られるまでの、いわゆる『十字架の道行』が彫刻で表現されています。キリストの磔刑像をよく見るとキリスト像は全裸です。


受難の門側にかかげられているキリストの全裸の磔刑


ゴルゴダへの道


キリスト教プロテスタント教会では十字架上にキリストの磔刑像を掲額しないようですが、カトリック教会はほとんど例外なくこれを掲額します。そして、現代において世界中のカトリック教会で十字架上のキリスト像が全裸で掲げられているところはまず無いと申し上げても間違いないでしょう。(中略)ところが、この聖家族教会の受難の門中央の地上20mに掲げられている背丈7mを超えるキリストの磔刑像は全裸です。何故なのでしょうか。私は大いに関心を持ち、その理由を製作者のスビラックス師に尋ねたいと思いを持っていました。機会は意外に早く訪れました。私はそれまでにスビラックス師とは幾度かお会いしたことがあったので、面会の要請を快く受け入れてくれました。(中略)さて、スビラックス師はおもむろに唇を広げました。『新約聖書のキリストの受難の箇所をよく読んで見てください』そして、『ヨハネによる福音書19章23節の記述にはこうあります』と、その箇所をそらんじてくれたのでした。そこには、キリストが十字架を背負いゴルゴダの丘に息絶え絶えになってたどり着いた時、兵士たちが十字架に釘付けになる前のキリストがまとっていた衣を剥がして分け合ったという記述があります。当時、死刑執行人の権利で、死刑囚の衣を剥がして分け合うことが許されたということです。スビラックス師は続けてその聖書の箇所をそらんじたのです。『兵士たちは、キリストの一枚織りの下着をくじで分け合った』と。この記述で明らかなのは、キリストは下着まで剥がされたということです。信仰深いスビラックス師が強調したかったことは、次のようなことであろうと私は理解したのです。すなわち、『人の子がその父のもとに召される時はこの世のものを持たず、すべての持ち物は残してゆく。すべてを地上に残して天に上るのは、キリストの言葉を実現させる意味でもあった』という解釈です。」



聖誕の門側


聖誕の像


東の国の博士達


 以上、山田修平さんの本より引用した。今まで考えもしなかったことであるが、山田さんが指摘するように、プロテスタントの教会にはキリストの磔刑像が無いので、そのあたりを考えることができないのであろう。聖書を忠実に読むことを示されたのであった。