鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<431>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<431>
2017年2月9日「美しの門にて」



聖書の言葉
わたしは羊の門である。わたしを通ってはいるものは救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
ヨハネによる福音書10章7節〜)




立春を迎え、少しずつ暖かくなってきたことはまことにありがたいことである。この暖かさならば、幼稚園の門に立つことも、苦にないであろう。昨年の10月から早苗幼稚園の園長に就任する。園長は、何よりも登園する子どもたちを迎えることである。ドレーパー記念幼稚園時代も、日々、門に立っては登園する子どもたちを迎えていた。子どもたちとの挨拶、保護者との短い会話はとても大切なのである。早苗幼稚園は月、水、金の三日間執務するようにしている。朝は7時に家を出て、9時の登園時に迎えるのである。門と言っても、門柱ではなく、建物の入り口となる。シャッターで開閉している。そこは日蔭であり、しかも風が吹き抜けるのである。12月になっても、コートも着ないで立っていたのである。そのためか風邪を引いてしまい、お正月中は風邪の養生で過ごしたのであった。ところで、入り口で子供たちとの登園挨拶をするのであるが、送ってきた保護者と子供たちの愛の育みを示される。送ってきたお母さんとハグしたり、ハイタッチしながら、入り口を入っていくのである。中にはお母さんとなかなか離れられない子どももいる。子どもは園舎の中に入ってしまっているのに、まだ、入り口に佇んでいる保護者もおられる。祈りつつ子どもを見送っているのである。
 以前、宮城県の陸前古川教会で牧会している頃、やはり、幼稚園に子供を送ってきたお母さんが、いつまでも門の傍らに佇んでいたことが思い出される。そのお子さんはハンディキャップを持っており、幼稚園でどのように過ごすのか、祈りつつ門の傍らでお子さんを見つめていたのである。幼稚園の入口と言い、門と言い、そこには物語がある。祈りの門というべきである。
門ということではスペイン・バルセロナサグラダ・ファミリアを示される。サグラダ・ファミリアの東側は「生誕の門」と言われ、西側は「受難の門」と称されている。私は「聖誕の門」と称している。それぞれの門には、それにまつわる物語が、彫刻や彫像で示されている。聖誕の門はイエス様のお生まれになった物語が掲げられているのである。受難の門には、イエス様の十字架への道、そして磔刑の像まで掲げられている。多くの人々がそれぞれの門を仰ぎ見ているのである。人々はどのようにして、この門に佇んでいるのであろうか。芸術として見ている人もあるし、信仰をもって仰ぎ見ている人もいる。
 「美しい門」に生まれながら足の不自由な人が座っていた。そこで物乞いをしていたのである。そこへイエス様のお弟子さんであるペトロさんとヨハネさんが入ってきたので、二人に物乞いをする。彼らは足をとめたので、何かもらえるのだろうと二人を見つめている。すると、ペトロが「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言いつつ、その人を立ち上がらせたのである。彼は足やくるぶしがしっかりして歩きだしたのであった。「美しい門」は祈りの場であった。祈りつつ門の傍らに座していた人は、祈りが応えられたのである。
 門に立ち、祈りつつ見守る人々に、豊かに祝福があることを示しているのである。使徒言行録3章1節以下を参照。この門は祈りの場であると示されているのは、六浦谷間の集会の門である。かつて小澤八重子さんが集会に出席されていた。綾瀬市にある大塚平安教会の教会員であるが、高齢になられ、追浜にお住いの娘さん家族と共に過ごすようになる。大塚平安教会には出席できないが、比較的近くの六浦谷間の集会の礼拝に出席されるようになるのである。2010年12月から出席され、2016年まで、毎回ではないが、時々であったにしても、喜ばれつつ出席されていた。そして、昨年の9月に召天されたのであった。小さな集いの礼拝であるが、この六浦谷間の集会の門は祈りの門であると示されているのである。



早苗幼稚園の入口。この入り口で登園する子どもたちを迎える。



サグラダ・ファミリアの聖誕の門側。




サグラダ・ファミリアの受難の門側。



六浦谷間の集会の門。