鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<429>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<429>
2017年1月4日「新年を歩みだし」



聖書の言葉
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
(ローマの信徒への手紙12章2節)



2017年を迎え、この年は1月1日が日曜日なので、まず礼拝をもって歩みだすお恵みを与えられている。この六浦谷間の集会も2010年11月から始まって以来、迎える新年礼拝は家族が集まり、共に礼拝をささげていたのであるが、昨年2016年の新年礼拝は初めて夫婦二人でささげたのである。子ども達はそれぞれの予定があり、礼拝には出席できなかったのである。礼拝記名簿には、連れ合いのスミさんがいつもコメントを記している。その日のコメントとして、「全国的に暖かい日が続いているが、この辺は特に暖かい。物音一つしない静けさにびっくり」と記している。このメモで知る様に、昨年の新年礼拝は暖かい日であったが、今年も穏やかな暖かい新年である。今年は星子が31日から来て、三人で新年礼拝をささげたのであった。星子は介護福祉士とし務めているので、夕刻には勤務に入るので、礼拝後は間もなく帰って行った。そのため、我が家では、いわゆるお正月料理というものを31日の夕食でいただいたのであった。もちろん年越しそばも。
昨年の12月11日以来、風邪を引いてしまい、治ってきたら首が回らなくなり、それが治ってきたら足の膝が痛くなり、それ用のサプリメントを服用したら治ってしまった。今までサプリメントを信用していなかったが、案外効くものであると知る。それ以来、そのサプリメントを服用している。もう元気回復で、この一年も頑張ろう、なんて若者のような決心をしたのであった。元気になってきたので、年末以来、あまりしなかった散歩を開始する。散歩は健康に良いのであるが、いろいろな情報を得ることができる。今年、特に気がついたのは、お正月飾りというものである。1月2日にはいつものコースを歩いたのであるが、門松なるもの見かけなかった。唯一、小さな門松を立てている家があったが、ほかには見ることができなかった。門松は、やはり立てるには準備にしても、費用にしても大変のようだ。テレビの園芸の番組で、「簡単にできる門松」を紹介していたが、やはり個人で作るには大変であるし、業者に頼めば費用がかさむであろう。街を歩いて、門松は見かけないが、門松代わりの松飾りは結構見かける。松の枝にしめ縄をつけて門に飾っているのである。なんといっても多くみられるのは、玄関のドアーに飾られている正月飾りである。最初に見かけたとき、クリスマスのリースかと思った。先ごろまで、リースを飾っていた家が多いのである。我が家もまだリースを玄関に飾っていることもある。しかし、それはクリスマスリースではなく正月リースなのである。いつの間に、リースのような正月飾りをつけるようになったのであろう。これなら門松を立てなくても良いし、門松はそのときだけであるが、正月飾りは保存できるし、毎年使えるようだ。
新年といえば、忘れられない思い出がある。いつもは31日でも早々と寝てしまうのであるが、2014年12月31日はバルセロナに滞在しており、年末年始の行事を体験する。その時間には多くの人が広場に集まり、カウントダウンを待っている。それぞれぶどうの実を用意している。12時になるとカウントダウンが始まるが、カウントは12の数字までである。カウントダウンしながらぶどうの実を食べるのである。あっという間に終わってしまう。終わるとともにお互いに新年をお祝いする。ハグする人、握手する人、広場は喜びの渦となる。私たちは羊子の知人のマルケスさんの家で、テレビを見ながらカウントダウンのぶどうの実を食べたのであった。ぶどうの実は予め皮をむいてコップの中に入れておく、カウントダウンと共にぶどうを食べるのであるが、追い付かない。あっという間に終わり、人々が喜びあっている。私たちはマルケスさんの家で、それぞれ新年の挨拶をしたのであった。どこの国も新年のイベントで賑わうが、必ずしも喜べない現実がある。平和を来たらせ給えと祈りつつ新年の歩み出しをするのであった。



散歩中、唯一見かけた小さい門松。
昔は各家は門松を立てたものだ。



今は正月リースを飾る家が多い。



散歩中、もう梅の花を見る。



バルセロナ滞在中、新年を迎えるカウントダウンでぶどうの実を食べる。