鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記<5>

「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記(2012年9月10日〜11月6日) <5>
2012年9月14日「旅の疲れを拾いつつ」



どうやら風邪を引いてしまったようだ。頻りと鼻水が出るようになったのは昨日のことである。こちらの日中は陽射しも強く、半そで半ズボンでも暑いくらいであるが、日陰や家の中にいると、風がかなり冷たいのである。日本のように蒸し暑さはない。強い陽射しを家の中から見ながら過ごしていると、つい薄着で過ごしてしまう。観光客の中には半袖、ノースリーブの人たちを見かける。その人たちは北欧から来ており、バルセロナの気候は暑いのである。つい同じような服装になる。気候そのものが異なるので注意しなければならないのである。総合風邪薬を持参しているので飲んでおいた。おかげで鼻水は収まったが、なんとなく目の上が重い。そのためか、散歩に出る気持ちが起こらない。今日は一日中、家の中で過ごす。
 連れ合いのスミさんが腰の具合が悪くなったのは、こちらに来て二日目であるが、三日目に病院で診てもらう。いろいろと検査してもらったが、結局、今までの腰痛が再発したのであろうとのことであった。狭い飛行機の座席に長時間座っていたからである。薬を処方してもらっているが、今日は羊子の知り合いの整体を行う人に来てもらう。いわゆるカイロプラクターである。フランセスクさんと言う方で、羊子自身も以前には整体をしてもらったそうだ。フランセスクさんは整体用の簡易ベッドを持参してこられた。約30分、整体をしてくれて、いろいろとアドバイスをして帰られた。整体の功もあり、薬の功もあり、当初の痛みが緩和されてきているようで、少しずつ歩けるようになってきている。もう少し静養すれば、さらに動けるようになるだろう。



日の出に映えるサグラダ・ファミリア



受難の門の中心、キリストの磔刑の彫刻



磔刑の彫刻の上には使徒たちの彫像
これらの「受難の門を見つめつつ」過ごす



 このバルセロナには昨年の4月5月に来ているので、いろいろと体験済みである。今回もバルセロナを訪れることにしたのは、やはりこの先、年齢を増し加えていくので、元気な今のうちに行っておこうと言うことが素朴な理由である。昨年お会いした人々と再びお会いすることは楽しみでもある。こちらの皆さんの挨拶は抱き合い、頬を摺り寄せて行うのである。もっとも男性の私は握手で済むこともあるが、中には頬を摺り寄せてこられる。慣れないことでもあり、おかしな挨拶になってしまうのであるが。昨年、このような挨拶が身についてしまい、日本に帰っても、親しい人とはハグしたりするようになる。特に幼稚園の若い先生たちとハグしたりするので、いやらしいと思った人もいるかも知れない。
言葉も「オラ」(こんにちは)、グラシアス(ありがとう)、アディオス(さようなら)くらいの言葉しか話していない。「ぺルドン」(すいません)、「デナダ」(どういたしまして)も自然に出てくるようになった。昨年、スペインから帰国したとき、もっと勉強して、少しは話せるようにしようと思い、CDつきの本で勉強したのであるが、いつの間にかやめてしまった。再びスペインを訪れることになったが、やはり勉強しなかった。羊子が通訳してくれるし、ちょっとした買い物でも何とかなると思っていたからである。だいたいこの年になって新たな勉強をするということは、苦手なのである。案内書には、とにかく日本語でもいいから話すことであるとアドバイスしている。日本語でも話せば通じるものであるということである。それにしてもスペイン人はよくしゃべる。日本でも、特に女性が長い立ち話をしているのを見かけていた。散歩の行きがけに話しているのを見て、約1時間後に同じ道を通ったら、まだ話している。日本人だっておしゃべりはしている。ファミレスでは女性たちが食事後いつまでも話している姿も見ている。しかし、こちらの人たちの話好きは男性も女性に劣らない。何を話しているのだか、延々と話している人を見かけるのである。教会に行ったときにも、集まりに行ったときにも、お会いした人と話がつきない。後ろで私たちに挨拶するために待っているのであるが、話がつきないのである。それでも後ろの人は前の人を急かせないで、じっと待っている。さて、ようやく挨拶が終わり次の人になのであるが、この方も長々とお話しされる。お話のマナー、約束事が自然に見についているようだ。日本に帰って、この習慣になったりして。