鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <19>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <19>
2011年4月18日「サン・ジュセップ市場」
 

せっかくスペイン・バルセロナに来ているのであるから、毎日出歩けばよいのであるが、最近は疲労気味で、あまり外出を喜ばなくなった。とはいえ、私たちを歓迎してくれている皆さんが、食事に招待してくれたり、観光地へご案内くださるなど、今週は忙しい日程になっている。喜んで接待、ご案内に応じなければならないのである。
さて、今日は羊子も予定が入ってなく、しかし公的な手続きがあるというので、一緒に出かけることにした。星子と私と三人で、スミさんは腰の痛みが加わるということで休んでいることにした。行く先はカタルーニャ広場とその周辺である。バスで赴いたが、広場に行く前に途中下車し凱旋門に寄った。パリほどではないが、凱旋門があり、そこから広い遊歩道が続いている。こちらは車道も遊歩道も広いところが多い。遊歩道の一角で年配の人たちが日本のゲートボールみたいな競技をしている。日本のように木のハンマーは使わないで、鉄の玉を投げるのである。羊子がいろいろ聞くと、球の重さは350g、700gで、ルールはカーリングのようである。年配の男性ばかりで、女性はしていない。球が重いからでもあろう。どこの国でも老人たちの活性化が求められているということである。
 


凱旋門前で


市内観光バスに乗るため並ぶ人々


年配の皆さんが競技しているのは「ペタンカ」という遊びである



 再びバスに乗り、カタルーニャ広場に行く。ここはバルセロナでももっともにぎわう場所である。まさに広場は人であふれていたし、鳩もあふれているのである。ここは日本で言えば「はとバス」の発着所でもある。今までも触れたが展望台があるバスで、市内観光ができる。大勢の人が列を成して並んでいた。よく知られているランブラス通りも人があふれ、ルーブル美術館も人の多さに驚いたが、ここもまた人であふれている。日本で言えば渋谷、新宿であろうがその比ではない。その通りを少し歩いてわき道に入り、羊子の用事が済むまでカフェーテラスでコーヒーを飲みながら待つ。やがて用事を済ませたのでサン・ジュセップ市場に行った。別名ボケリアと称するそうだ。市場であるのであらゆる食材が売られている。市民の台所であるとも言われている。野菜、果物、肉、魚店が豪快に品物を並べている。日本で言えば「アメヤ横丁」、沖縄で言えば「公設市場」を思い出すが、その比ではない。中にはカウンターで食べられるようになっている。たまには魚を食べようとアンコウと肝を求めた。ビフテキも求めたが、こちらでは食べ物の値段が安く、驚くほど安く買えるのである。今夜はアンコウ鍋にする計画なのである。市場でトイレに行こうとすると、市場で買ったレシートがあれば無料では入れるが、レシートがなければお金を払わなければならない。



果物屋さんの前で



ニンニク、トウガラシ等を売る店



肉屋さん。豚がそのままつるされていたりして



魚屋さん。いろいろな魚が積み上げられている。
売る人は女性で、大きな出刃包丁で、いとも簡単に魚をさばく。



 道を歩いていると大道芸人がパフォーマンスで立っている。何か芸をするのではなく、不思議な格好をして立っている。道行く人が小銭を入れていくが、中には一緒に記念撮影をし、チップを置いていく。そういう商売もあるのである。その大道芸人は結構いるようである。足のない女性がお金を求めていた。羊子が小銭を入れてあげると、手を胸に当て、感謝の意を表していた。他にもお金を求める人が道の脇に座っている。いつも注意されていることは、スリにご用心ということである。財布等を服のポケットなどに入れておかないこと、ショルダーバックはしっかりと肩にかけ、後ろではなく前のお腹のあたりにしておくことである。とにかく数十万人もいるかと思われる人間の群れなのである。用心には用心を重ねなければならないということである。
 もはや午後2時を過ぎていたので昼食をとることにした。いわゆる中華街に行く。中国系の店が集中しているのである。斎心面館?との店に入った。そこでラーメンと餃子、四品指定できる定食を注文して食べる。ラーメンは日本で食べるような麺ではなく、ヌードルのようであった。東洋人ばかりでなく、スペイン人、諸外国の人が食事に来ている。前にも触れたが、日本料理屋も結構ある。寿司屋の看板をよく見かけるが、必ずしも日本人が経営しているのではなく、中国人や韓国人、台湾人が経営しているようである。食事後、食材を買いに中国系のスーパーに行く。ここには日本関係の食材もある。豆腐や味噌、醤油、何でもあるようだ。バルセロナには中国人も多くいるという。