鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <18>

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <18>
2011年4月17日「棕櫚の主日
 

今日は棕櫚の主日である。羊子が出席し、奏楽の奉仕をしているカトリック教会のミサに出かけた。教会に隣接して養護施設があり、まずその庭に人々が集まる。子供たちは竹で作られたような、棕櫚の枝としているのであろうが、手に持って集まってくる。大人は入り口にオリーブの葉が置いてあり、それを手にするのである。さらに胸に、平和への願いが記されている赤い紙をピンで留める。



教会の横の広場に集まり、エルサレム入城のミサを行う
背景の丸い建物は水道局。6月13日のブログ参照。



女性と男性が聖歌を歌い始めると共に神父さんが入場してくる。聖書を読み、なにやら式文を読んでいるようである。そのうち、聖水ということなのであろう、会衆に振りかけていた。そこで30分くらい礼拝をしてから礼拝堂に入っていく。女性の聖歌、そして何人かが聖書を読んでいるようである。神父さんのお話等があり、やがて持ってきた棕櫚の枝をゆするようにしていた。都エルサレムに入場するキリストを迎えることなのであろう。聖餐式も行われた。会衆が神父さんのもとへ行き、パンをいただくのである。パンといっても小さいせんべいのようなものである。パンをぶどう酒にちょっと浸して与るのである。その後、隣同士、また前後の人と握手したり喜びと平安を述べ合う。1時間くらいのミサ、礼拝であった。終わってから、羊子の家族が日本からやってきていると紹介された。羊子はこの教会の家族であり、だから羊子の家族も我々の家族であると紹介してくれたようである。



子供達は棕櫚の枝を持ち、イエス様と共にエルサレム・教会に入っていく。
棕櫚の枝を売る露天商は6月14日のブログを参照。


 いろいろな人たちから挨拶をいただく。こちらの挨拶は単に握手ではなく、頬と頬をすり合わせるので、慣れないことでもあり、挨拶だけでもくたびれるということである。子供たちが持ってくる、露天商が売っている棕櫚の枝は結構の値段であるそうだ。だから買えない子供たちもあり、ある意味では豊かな子供たちが持ってくるようである。子供たちは20人くらいはいたかと思うが、棕櫚の主日なので教会に来るのであり、普段は来ていないという。今日のミサには150人くらいは出席していたようである。バルセロナカトリック教会としては、比較的小さい教会であるという。神父さんはまだ若く、40歳前後かと思われる。なかなか牧会上手といえようか。ミサが終わると、聖衣を脱ぎ、ラフな服装で現れ、帰っていく皆さんと語らい、送り出していた。信者の皆さんも、きわめて人間的な神父さんを喜んでいるようである。


子供達は棕櫚の枝を揺すりながらイエス様をお迎えする


会衆も手には棕櫚の葉を持っている


 羊子はピアノとエレクトーンで奏楽をした。このグランドピアノは、実は羊子のものであり、羊子が教会にピアノを置かせてもらい、ここで練習をしているのである。羊子がバルセロナにやってきて、別のカトリック教会に出席した時、聖餐式にはプロテスタントであるからと受けさせてくれなかったという。しかし、その後、今の教会の神父さんと出会い、聖餐式は共に与ることができることを知り、出席するようになった。教会には本当に小さなオルガンしかなかった。そのオルガンは片隅におかれ、今はピアノとエレクトーンで奏楽している。大体、カトリック教会で聖歌を歌うが、リードする人に合わせて皆が歌うのであり、奏楽に合わせて歌うのではない。羊子が奏楽を申し出た時、神父さんも教会の人も喜んでくれたそうである。今では羊子の奏楽が重要な存在になっている。そのような経緯でグランドピアノを置かせてもらっているのである。ここで生徒に教えてもいるが、自分の練習の場としているのである。家にもアップライトのピアノを置いているが、多くの場合、ヘッドホーンをつけて練習している。
 カトリック教会のミサに出席したが、良い経験になったと思う。しかし、言葉が分からないので、どのように進行しているのか分からない。羊子は奏楽をしているし、説明もない。それで、なんとなく分かるのは棕櫚の主日だからである。日本の讃美歌にもある「キリエ・エレイソン」が歌われていた。応答唱も何回か歌われていた。子供たちも聖壇に上がり、神父さんの手伝いをしていた。聖書の読み手、歌い手、結構皆がミサに参加し、ミサのために働いていることが示される。ミサが終わると、棕櫚の枝は家に持って帰るのである。しばらくは喜びのしるしとして飾っておくようである。
 バルセロナに来て、棕櫚の主日の受け止め方を示された。良い勉強になったと思う。喜びの日として、今後は皆さんに示していくであろう。