鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

引越し( 祈りで援助し )

 
 昨年の3月末をもって大塚平安教会を退任することになり、昨年の今ごろは引越しの準備で大変でした。もっとも、この退任、引越しについては2年も前から公言していましたので、今までも少しずつ荷物を運んでいたのです。その意味で退任、隠退後の住居が与えられていることは、神様のお導きとお恵みであることを深く受け止めています。6年前に誰も住んでいない六浦の実家は、賃貸の期限となりました。その30年前、父は賃貸契約の更新の時、父と私の連名で契約をしてくれていました。これは賢明な契約でありました。私が宮城県の教会で牧会しているときであります。父は、いずれ息子がこの家に帰って来ると予測していたのでしょう。父は既に亡くなりましたが、契約者の一人が存命でありますから、契約更新にあたり、地主さんが今後も賃貸とするか、それとも購入するか打診されました。65坪の土地の権利の半分はこちらにあるので、半分の価格で購入することができるのです。このまま賃貸であるより、購入した方が良いことは確かです。しかし、蓄えがあるわけではありません。それで、教会に退職金の前借りをお願いしました。役員の皆さんが快く承認してくださり感謝でした。不足分は生命保険に入っていましたので、こちらからも借りて、何とか購入価格にこぎつけたのでした。
 六浦の実家は築60年にもなっています。見るからに古びた家でした。普段は無人ですので、時々不動産関係の人が様子を聞きに来るということを近所の人が言われるのでした。何とかしなければならないと思いつつ、これも資金的に無理な課題だと思っていたのです。5年くらい前に、丁度娘の羊子がスペインから帰国しているときでした。新聞のチラシを見ているうちに、家の建築の広告があり、何とかなるかなあと思い、連れ合いのスミさんや羊子に軽く言ってみました。二人はすぐに乗り気になり、早速モデルハウスを見学に行ったのでした。65歳の時であり、ローンを組む最終リミットの年齢でした。それで決断し、建築を発注したのでした。六浦の実家には誰も住んでいないので、解体にしても、建築にしても不便なく進めることができました。こうして5年前に新しい家ができたのです。建物は全体で40坪であり、二人で住むには十分な家でありました。スミさんが最も願っていた庭も広く、野菜や花を育てることが、老後の楽しみとなりました。新しい家ができたものの、もうしばらく無人となるのでした。
 こうして退任後の住居が定められていましたので、綾瀬の生活で必要なもの以外は少しずつ運んでいました。一番の難物は本でありました。もう、あまり読む機会が無いとしても、それぞれの本には思いが込められており、なるべく処分しないようにして運んだのでした。グランドピアノもいち早く運びました。一昨年の12月末には箪笥類や大きな物、アップライトピアノを運びました。だから、引越しの荷物はそんなにないと思いましたが、小物をまとめると、有るは有るはで、ダンボール箱が積みあがってしまいました。今まで不要な物と共に暮らしていたわけで、これも山のようにありました。普段の生活ではなかなか処分できないのです。
 引越しの準備をしながらも、考えさせられていたことは、宮城から大塚平安教会に引っ越してきた30年前のことでした。8月の末に行いましたが、教会の皆さんが暑い中、荷物を牧師館に運び込んでくださったこと、改めて感謝を致しました。その頃は本にしてもその他にしても今ほどではなかったでしょう。今の時代のように引越し屋さんが無かったと思います。
 大塚平安教会の皆さんは牧師を招聘し、牧師家族を大切にしてくださり、その生活を支え、牧師館の管理をしつつ歩んでいるのです。牧師館の畳代えをしてくださいと献金される方がおられました。牧師家族を常に顧みてくださる皆さんでした。牧師とその家族を大切にする教会は、祝福が豊かにあるのです。牧師が安心して牧会の働きに集中できるからです。大塚平安教会の上に豊かな祝福がありますようにお祈りしています。
<聖書の言葉>
あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。
(コリントの信徒への手紙<二>1章11節)