鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<441>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<441>
2017年6月6日「200回目を感謝しつつ」



聖書の言葉
信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。
ヘブライ人への手紙11章21節)



2017年の聖霊降臨日、ペンテコステは6月4日であった。聖書によれば、この日、イエス様のお弟子さんたちは、イエス様が言い残されたように、共に集まり、祈りつつ過ごしていたのである。共に集まり、励まし合うのは、社会の人々を恐れていたこともある。イエス様が十字架に架けられた後、イエス様の仲間であるということで批判され、圧迫を受けていたのである。お弟子さんたちにとって、そのような状況にある時、師であるイエス様の御言葉通り、共に集まり祈り合うことであったのである。そして、五旬祭というお祭りの日、お弟子さんたちに聖霊が降ったのである。今まで気を弱くしていたお弟子さんたちは、聖霊をいただくや、立ち上がったのである。もはや社会を恐れることなく、祭りで賑わう人々の中に出て行き、イエス様の十字架の救いを力強く証ししたのである。聖霊降臨の奇跡である。お弟子さんたちは新しいイエス様のお導きをいただきつつ歩みだしたのである。この聖書のメッセージは、現代に生きる人々に大きな導きを与えているのである。聖霊のお導き、そのお導きに委ねて歩むことなのである。
この6月4日、六浦谷間の集会の礼拝は、丁度、200回目の礼拝となった。六浦谷間の集会は2010年11月28日に第一回の礼拝をささげている。2010年3月末で、それまで30年間務めた大塚平安教会の牧師を退任する。しかし、退任するが、4月から9月までは横浜本牧教会の代務牧師を務めるのである。代務者と共に付属の早苗幼稚園の園長に就任し、六ヶ月間の職務を担うのである。そして、その代務者が終わり、10月からは無任所教師となる。無任所とは、どこの教会にも属さない日本基督教団の教師のことを言う。10月当初は、私の出身の清水ヶ丘教会や連れ合いのスミさんの出身の高輪教会に出席したりする。さらに大塚平安教会や横浜本牧教会の牧師就任式がおこなわれるので、それぞれの教会には礼拝から出席したりしたのである。挨拶やお祝いで他教会に出席していたが、さて、これからはどこの教会に出席するか、夫婦の会話がつきない。そういう中で示されてきたのが、六浦谷間の集会として、夫婦で礼拝をささげることであった。10月からは無任所教師となり、どこの教会で説教を担当するのではないが、今までの習慣として、土曜日には説教が作成されていたのである。せっかく作成した説教でもあるので、説教のブログを開設しており、公開していた。説教が用意されている、牧師と信徒がいる、礼拝の要素が整っている。それで2010年11月28日に、六浦谷間の集会として第一回の礼拝をささげたのであった。夫婦二人だけの礼拝である。しかし、第二回目の礼拝には二人の方が出席する。大塚平安教会の会員であるが、高齢となられて、横須賀市追浜に住む娘さん家族と共に住むようになった小澤八重子さんが出席する。さらに、大塚平安教会の教会員ではないが礼拝に出席されていた田野和子さんも出席される。お二人はその後も数回出席されたが、小澤八重子さんは天に召され、田野和子さんは北海道に帰られたのである。その小澤さんの葬儀は、六浦谷間の集会に出席されていたこともあり、私が司式をさせていただいたのである。
200回目の礼拝をささげたとしても、特別なことではない。しかし、やはり、そこには神様の聖霊のお導きがあり、夫婦だけで礼拝をささげることなんか、ほとんど聞いたこともないので、聖霊の奇跡として受け止めているのである。本来、毎週、六浦谷間の集会を続けているなら、2014年頃には200回目を迎えていたことであろう。しかし、他の教会のお招きがあり、外国生活で不在になることが多かったからでもある。とにかく、200回目の礼拝を迎えることができ、それも、聖霊降臨祭の日に迎えたことを感謝しているのである。300回目は…。



六浦谷間の集会として、夫婦二人で始めた礼拝。




六浦谷間の集会礼拝開始第二回目の出席者。
2010年12月。



礼拝開始200回目の礼拝。2017年6月4日。



礼拝の奏楽を担当する鈴木星子さん。



六浦谷間の集会が開かれている家。