鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <92>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<92>
2012年5月2日 「あなたがたを強めると」 


聖書の言葉
神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を掲示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
(ローマの信徒への手紙16章25-27節)


 
 4月29日の六浦谷間の集会、礼拝には久しぶりに小澤八重子さんが出席された。冬の間は寒いこともあり、外出を控えておられたが、このところ温かさが増し、春の陽気を喜ぶ日となり、礼拝への思いが導かれたのである。小澤八重子さんは、礼拝では大きな声で讃美歌を歌われ、また聖書も大きな声で朗読されるのであった。六浦谷間の礼拝では出席者が聖書朗読を担当する。一人で読む場合、輪読する場合があるが、聖書を声に出して読むことは、神様の御声を直接いただくようである。数年前に軽井沢南教会に招かれて礼拝を共にささげたが、その教会では、聖書は会衆の皆さんが一緒に朗読するのである。この礼拝に触発されたわけではないが、かねがね聖書朗読は会衆と共に行うことを示されていた。厳格な牧師は、礼拝における聖書朗読は牧師がする。司会者の聖書朗読は、時には誤読みしたり、つかえたりするからで、神様の御言葉は正しく読まれなければならないとしているのである。聖書朗読では会衆も聖書を手にして見つめているのであり、誤読みしてもつかえても示されている御言葉は読み取ることはできるのである。恐れることなく御言葉を口にすることである。六浦谷間の集会、礼拝での聖書朗読は旧約聖書新約聖書書簡、福音書はすべて連れ合いのスミさんが読んでいる。
 小澤八重子さんが六浦谷間の集会、我が家からそれほど遠くない所にお住まいであり、この集会に出席できることは、まさに神様のお導きと示されている。いつも娘さんの和子さんが車で送迎してくださっているが、10分もあれば来られる距離である。所属する大塚平安教会までは、やはり行き来は困難なのである。その意味でもこの六浦谷間の集会の意義を改めて感謝するのであった。今は横須賀市鷹取町の娘さん家族と共にお住まいである。その前は座間市立野台にお住まいになっておられ、大塚平安教会の教会員として信仰生活が導かれていた。1979年に大塚平安教会に赴任したとき、小澤八重子さんは一人の求道者であった。その頃、お務めの身であったが、その後退職され、毎週の礼拝に出席されるようになるのである。立野台の家庭集会にも出席され、皆さんとの信仰のお交わりが強められていたのである。そして、1982年12月19日のクリスマス礼拝にて洗礼を受けられたのである。今年で信仰30年を歩んでおられる。お仕事は会計関係であったことから、1986年から1991年までの5年間、財務委員を担当されている。そして、家庭集会もご自宅を開放してくださっていた。
個人的には小澤さんのご趣味のおしば(押し花)を額縁入りで二つもいただいている。また、新聞の痛風に関する切り抜きを冊子にしてくださったりしている。その頃、痛風を病んだことがあるからである。お連れ合いが召天されたとき、お連れ合いはクリスチャンではないが、葬儀はキリスト教で行い、私が葬儀を担当したのである。そのため御親戚の皆さんとも親しくお話するようになり、娘さんの和子さんともお話するようになるのである。和子さんは母上様を送って来られると、その後は戻られ、礼拝が終わってからしばらくしてお迎えに来られる。4月29日は、たまたま時間もあることもあり、お迎えに来られて、しばしお茶をいただきながら歓談したのであった。
今回、小澤八重子さんのことを記したが、このブログを大塚平安教会の何人かの皆さんが読んでくださっているので、その後の小澤さんの消息を報告する意味で記したのである。85歳になられる小澤さんはお元気に信仰生活をされています、と報告したい。



2011年3月27日、六浦谷間の集会、礼拝に出席された小澤八重子さん。



2012年4月29日、お元気に礼拝に出席された。