鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <93>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<93>
2012年5月4日 「石の板を携えて」 



聖書の言葉
モーセは前と同じ石の板二枚を切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。
出エジプト記34章4-6節)


 
 残念ながら今年のゴールデンウィークは雨の日が多く、せっかく家族で出かける予定があったのに、キャンセルでは子供たちが可哀そう、と思った人が多いだろう。しかし、明日の5日と6日は晴れそうなので償いができるかもしれない。帰省、旅行等、民族の大移動で高速道路は渋滞60キロとも。空の便も満席で、飛行場のターミナルは混雑、鉄道の新幹線も混雑がしきりとか。5月のゴールデンウィーク、8月のお盆休み、年末年始、日本では三回の民族大移動が行われる。楽しさと大変さをもちながらも、やはり渦中に成らざるを得ないのである。
 とは言うものの、実は5月3日には丹沢・搭ノ岳に登ろうと密かに計画していた。そのため。昔使っていた山の道具をそれとなく点検したりしていた。近づくにつれ、天侯が定かでなく、その前にも雨の日が続き、だんだんと計画が消えかかって来る。そして、5月3日は雨と予報され、完全に諦めたのである。それならそれで、5日は天気になるので、この日に決行したらよいと思うが、雨降りの後の登山は歩きにくい。山道は水が多く、滑ったり、ぬかるみ道を歩かなければならないからである。私のように毎日がお休みなのだから、休日に登らなくてもウィークデイでも良いわけである。しかし、間もなく73歳にもなるので、登山者が多い方が良いと思っているのである。もし何かあった場合、他の人が気がついてくれるからである。昔はそんなことは考えず、むしろ登山者が少ない方が良いと思っていた。実際、ウィークデイに登り、その時は8月の暑いときであり、さすがに登山者がいないと思われた。ある程度登り、大汗をかいたので、着替えするため上半身裸になっていた。すると、下から一人の女性が登って来たのである。あわててシャツをはおったものである。
 最後に登山をしたのはいつなのか、思い出せない。少なくとも10年以上は登っていない。いや15年以上かもしれない。教会、幼稚園の職務と共に教区や教団の役職を持ち、登山どころではなかった。私の登山は、もっぱら丹沢ばかりである。若い頃は八ヶ岳谷川岳大菩薩峠南アルプス、富士山に登ったが、大塚平安教会に就任してからは、近いこともあり、丹沢の山々をめぐり歩いているのである。しかし、丹沢山蛭ヶ岳、鍋割山の他は搭ノ岳がほとんどである。表尾根コースは何回か登ったが、かなり時間を要する。それに対して大倉尾根コースは3時間で登れることになっているので、ほとんどこのコースを利用している。3時間の触れ込みであるが、私の場合5時間もかかるのである。帰りは2時間もあれば下山できるので、行き帰りともこのコースを選んでいるのである。




青年の頃、20歳頃かな。八ヶ岳に登ったとき。



 大塚平安教会に赴任して数年後に丹沢主脈縦走を試みた。教会の青年と共に出掛けたのである。しかし、途中から雨が降り出し、ようやく丹沢山の小屋に着き、そこで一泊したのであるが、縦走を諦め、途中から下山することにしたのである。その後も教会の青年と共に搭ノ岳、鍋割山を数回登っている。後は、我が家の子供たちと数回登ったが、もっぱら一人で登ることが多かった。忘れられないのは、三女の百合子が小学校3、4年生の頃かと思うが、物見峠から札掛へのハイキングである。物見峠から道を間違えてしまい、ようやく札掛に着き、そこからヤビツ峠に出て、バスに乗る予定であった。しかし、もはや暗く、バスの最終便はとっくに終わっていたのである。それでヤビツ峠から蓑毛まで歩くことにした。そこからはバスが出ているからである。暗い道を歩いているうちにも車が通過していくが、誰も声をかけてくれない。こちらもヒッチハイクごときをするつもりはない。結局、その日は10時間くらい歩いたことになる。小学生の百合子がよくも歩き通したと関心したわけである。だからその時は厚木に出て、ラドン温泉に入り、レストランで美味しい食事をしたのであった。
 モーセシナイ山に再び登ったとき、石の板二枚を持つ。改めて神様の御心を石の板にきざんでもらうためである。山に登るとき、いつもモーセの姿勢を示されていた。その意味でも、そろそろ石の板を持って山に登らないと。