鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

回想の30年(2)( 命を受けるために )

 
 主の宣教を重ねながら歩むうちにも、その節目において、歩んだ歴史を顧み、恵みを感謝することは大切なことであります。大塚平安教会の牧会30年の歴史において4回の記念の時を持ちました。1979年に私が就任したとき、そのときは大塚平安教会創立30周年でありました。前任の乙幡和雄先生には、30周年をお祝いするために準備していたようですが、先生が日本基督教団幹事に就任することとなり、大塚平安教会を辞任することになりましたので記念の時はしませんでした。それから5年を経て、30周年記念を見送ったこともあり、35周年記念会を開催することにしたのでした。創立35周年記念礼拝には説教者として前任牧師の乙幡和雄先生をお迎えしました。そして「大塚平安教会35周年記念誌」を発行しました。
そしてその後、5年を経たときは創立40周年になります。一般社会では創立記念をお祝いするのは50年、100年でありますが、40年は聖書的な年数でもあります。大塚平安教会の創立40周年として、広く人々に呼びかけてのお祝いではありませんが、教会としての感謝とお祝いの時をもったのでした。それが1989年8月6日であり、草創期に担任教師であられた川島貞雄先生を説教者としてお迎えし、記念の礼拝をささげたのであります。そして、祝会を開いたのでした。その時の写真がありますが、以前の大塚平安教会の礼拝堂とは明らかに異なっているのです。この40周年を記念して、教会内部の改修を行いました。その頃も新しい教会建築が課題がありましたが、今は改修にとどめることにしたのでした。改修の内容は、講壇両横小部屋を撤去、礼拝堂と集会室は壁で仕切るのではなく、間仕切り戸にする、礼拝堂入口は中央と共に両横にも作る等の改修でした。玄関および礼拝堂の窓はすべてアルミサッシにしたのでした。大勢の人が入る場合には間仕切り戸を開けば、ワンフロアーとなるということです。この礼拝堂のたたずまいは今も続いていますが、教会建築の計画があり、いずれは消えて行くのでしょうか。この40周年を記念としてドイツのアールボーンPS26のオルガンを導入しました。このオルガンにより教会音楽が盛んになり、聖歌隊の活動も一層力強く導かれるようになりました。
 それから10年を経たとき、1999年8月8日に「宣教開始70周年・教会創立50周年」のお祝いを開催しました。50周年であり、教区内諸教会にお知らせし、関係者にお集まりいただいての祝会となりました。35周年記念誌を発行していますので、改めて開拓期からの歴史を見直し、まとめることができました。それと共に現代の証言として、教会員全員に証を記していただきました。それぞれ顔写真入りですので、生きた証しとなりました。当日は草創期に神学生として出席されていた大崎節郎先生を説教者としてお迎え致しました。
 歴史はこまめにまとめておく必要があり、2009年8月に創立60周年を迎えるにあたり、「大塚平安教会創立60周年記念誌」を発行致しました。記念誌を発行し、教会員だけでささやかなお祝いをしたのでした。この記念誌は、50周年記念誌に倣いながらすべて手作りでした。パソコンで版下を作り、印刷も製本も教会員が制作したのです。記念誌を発行しただけでも意味がありますが、手作りは教会の力の証しとも言えるでしょう。この記念誌に50年から60年までの10年間のまとめを書きましたが、このまとめは牧会30年間の総括とも思っています。その前の20年間の歩みの中で、取り組みつつ検討してきたことが、この10年間をまとめられたということです。
 記念誌ということでは「ドレーパー記念幼稚園25周年記念誌」を発行しています。1987年をもって創立25周年を迎えるにあたり、記念誌発行も大切でありますが、創立に関わり、現在まで協力くださった皆さんに感謝をしましょうということが主目的でした。
<聖書の言葉>
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
ヨハネによる福音書20章31節)