鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<228>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<228>
2014年1月22日「すべてはお導きであると」


聖書の言葉
占星術の学者たちは)「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
(マタイによる福音書2章12節)



 時々、鎌倉までの散歩について記している。その時は朝比奈峠越えか朝比奈切通し抜けで鎌倉八幡宮まで歩き、そこで境内地を徘徊したり、近代美術館を見学したりして、鎌倉駅から電車で帰宅するのである。JR鎌倉駅から逗子駅間は一駅であり、そこから京急線新逗子駅から乗ると次は神武寺駅、そして六浦駅である。鎌倉から三駅であり、かねがね歩けないこともないと思っていた。そんな思いを1月10日のブログに記している。心に示されていると実行したくなるものだ。1月16日は朝から快晴で風もなく、今日は歩いてみるか、ということになった。午後1時30分頃に家を出て、朝比奈切通しを抜ける。このあたりのことについては昨年の12月2日のブログに記しているので割愛しておく。朝比奈切通しを抜けると県道金沢・鎌倉線に出る。その道を鎌倉八幡宮に向かうと明石橋があり、そこは三叉路になっている。右に行くと八幡宮、左に行くと逗子に至るのである。今日は何としても歩くつもりであり逗子方面に向かう。途中、ハイランドと言われる街を通るが、高級住宅地である。歩くこと30分でJR横須賀線に行きあたる。線路沿いを20分も歩けば逗子駅である。ここから自宅までは車で通ったこともあるので、歩く道は心得ている。京急線新逗子まで行かなくても神武寺駅に直接向かうのである。30分で神武寺駅に着く。そして六浦駅まで45分を要したが、ついに一回りしてきたことになる。午後5時30分に自宅についたので、4時間で周遊したことになる。万歩計は27000歩をカウントしていた。そんなに歩いて疲れないの、と連れ合いのスミさんに言われるが、毎日歩いているので疲れを覚えなくなっている。いずれは久しぶりに丹沢に登るつもりでいるので、訓練の意味もある。
 散歩していると昔のことがいろいろと甦って来る。高校生の頃は朝比奈峠越えで鎌倉に行き徘徊したものである。北鎌倉の円覚寺建長寺まで歩いたこともある。昔から徘徊癖があったようだ。昔を思い出すと言えば、今は野島公園まで足を伸ばしているが、野島にある金沢八景教会の前を通って野島公園に行くことになる。少し前は夕照橋を渡って野島公園まで歩いていたので、そのコースは金沢八景教会前を通らない。最近はシーサイドライン野島公園駅の前にある野島橋を渡って行くようになった。この野島橋は平成22年に竣工したことになっているが、昔は「ハッコウ橋」と言われていたと思う。どのような漢字の名前であるか記憶にない。人間だけが渡れる橋であったと思う。その後は造り直したと思うが、それを更に造り直して現在の野島橋になったのであろう。金沢八景教会はその橋から間もなくである。
 もしかしたらこの金沢八景教会の牧師になっていたかもしれない機会が二度ほどあった。大塚平安教会在任中、教職研修会があり、教区内の牧師の皆さんと懇談したりする。その懇談の時、将来は金沢八景教会の牧師になりたい、なんて冗談ながらお話するのであった。そこには金沢八景教会の高橋久幸牧師もおられ、黙って聞いておられた。数年後、やはり教職研修会があったとき、その高橋久幸先生が、「以前、金沢八景教会の牧師になりたい、とおっしゃっていましたが、来ていただけないでしょうか」と言われるのである。高橋先生はいよいよ高齢を理由に隠退されるのである。半分は赴任したい気持ちがあり、半分は大塚平安教会の使命がある。そして役員会でそのことをお話したのであった。私が開拓伝道で、新たなる伝道をするのなら慰留はしないが、もう少し大塚平安教会の牧会を続けていただきたいということであった。そのため金沢八景教会への転任はなくなったのである。
 そして二度目の金沢八景教会の牧師の誘いが出てくる。それは大塚平安教会の退任が決まり、残す一年となった時であった。高座渋谷教会の土地・建て物は親教会である大塚平安教会の名義になっている。この際、日本基督教団の特別財産にすることになり、同教会の君島洋三郎牧師と話し合っていたのである。その時、大塚平安教会退任後、金沢八景教会の牧師になることを勧めて下さったのである。高橋牧師の後任牧師も間もなく退任されるというのである。そして、教区総会でその牧師とお話したのであるが、自分の気持ちより金沢八景教会の今後の歩みを示されてお話したのであった。今まで金沢八景教会は高齢の牧師であった。最近教勢も伸び、結構教会員も増えている。これからは若い牧師を招聘したら良いと思うと述べたのであった。その通り、今は若い牧師を招聘し、祝福の歩みとなっているようである。
 もし、金沢八景教会の牧師になっていたら、この海岸で毎日魚釣りばかりしているのではないか、そんなことを思いながら教会の前を歩いている。すべて神様の御心であると思っている。



開通間もない野島橋。



まだ新しい金沢八景教会の佇まい。



野島公園。夕刻であり人影も少ない。