鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<227>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<227>
2014年1月20日「巻物に書き留めながら」


聖書の言葉
次の言葉が主からエレミヤに臨んだ。「巻物を取り、わたしがヨシアの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、及び諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれの悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。」
エレミヤ書36章1-3節)



パソコンはウインドーズXPを使用しているが、マイクロソフト社はXPの管理を今年の3月で終了すると言う。XPは公共機関や企業でも多く使用しているので、その対策に追われているようだ。今使用しているパソコンは2009年12月頃に新しくしたものである。それまで使用していたパソコンもXPであるが、画面が暗くなり、かなり見にくくなっていた。そのため新しくしたのであるが、その頃はXPに代わる新しいものが出ていた。しかし、買い替えを手伝ってくれた業者が言うには、新しいものは取り扱いが悪くて推奨できないと言い、むしろ再びXPを使用した方が良いということであった。その頃は、マイクロソフト社はXPの管理終了は発表してなかったのである。まだ4年しか使用してないのに、管理が終了されてしまうのは誠に遺憾でもある。使用しているパソコンには多くのデータを保存しているので、出来ればこのまま使いたいのである。今のパソコンに代えるときにも、手伝ってくれた業者が、あまりにもデータが多いので、新しいパソコンにデータを移すのが大変であったようだ。
このような状況であるので、パソコンに入っている文書、写真等をCDに移してバックアップしておくことにした。今までのバックアップしたCDを調べると、結構移していることを知る。それらのバックアップされたCD を開いて見ると、大切なものがあるが、もはや必要ないと思われるものまで残されているのである。このまま置いておいても、今後使用することがないようなデータなのである。この際、それらを処分することにした。残されている文書はフロッピーディスクにも大量に収められている。大塚平安教会時代、「牧会メモ」を毎週の週報に掲載していたし、「テレフォンメッセージ」、「今週の聖句」等も週報に掲載していた。これらはCDではなくフロッピーディスクに保存しているのである。そして「説教」がある。説教を公にするようになるのは2007年9月30日からである。この日の礼拝は修養会の開会説教を兼ねて行われる。後日、修養会の報告書を作成するので、その日の説教はそのまま原稿にしている。以後、毎週の説教原稿は次週の礼拝にて「前週の礼拝説教」として配布するようになったのである。説教原稿をそのまま配布することは今でも続いており、六浦谷間の集会における礼拝では、当日の説教原稿を配布するのである。連れ合いのスミさん一人に向かって説教するのではなく、その説教をブログで公開するので、ブログを読んでくださる皆さんを示されながら説教をしているのである。その日の説教は原稿を読むことにしている。ついでに校正もできるというわけである。残されて保存されている説教は400にもなるというわけ。2008年の説教は、大塚平安教会を退任する時、「最初の朝餐」として大塚平安教会が出版して下さった。その後、「主の導きに委ねつつ」と題して個人出版している。
説教についてはパソコンのワードに保存しているが、ブログの原稿もワードに保存している。ブログの原稿も随分と積み重なっている。写真関係も多い。バルセロナには二回も赴いているし、マレーシアにも赴き、それぞれ1000枚も写して保存しているのである。これらの保存された文書、写真をCDにぼつぼつ移しているのである。
こうして保存されている文書を振り返ったとき、物書きの人生であったようだ。もともと若い頃から書くことについては嫌いではなく、積極的に書いていた。文章修業として、その場を書き留めておく訓練をしたものである。その場の状況、人との触れ合い、何でもありのままを書いておく。そういう物書きを趣味としていた。そんなことから将来は小説家になりたい、なんて思ったことがある。若い頃は「文学界」という雑誌を取り、ひそかに小説を書くことを念じていた。神学生時代も小説を書いて応募したりしている。また、「雲と信仰」と題して山村暮鳥論を書いたりしている。宮城県の陸前古川教会時代、隣の鳴子教会附属保育園の園長、高橋万三郎さんの半生を「鳴子こけしの歌」と題して記し、クリスチャン新聞の「証文学賞」に応募した。選外佳作であったが、万三郎さんの童謡詩集出版記念会で冊子として発行している。
しかし、今は小説を書こうとは思わない。小説は架空の世界であり、それは創作であるが、そこまで物語を発展させる能力がないのである。だから小説を書くことは諦めているが、状況を書き留めておくことは日々の作業としている。それだけでも良いと思っている。自分の葬儀の状況も書き留めておきたいのであるが。



宮城県の陸前古川教会時代に執筆した「鳴子こけしの歌」。
クリスチャン新聞「証文学賞」に応募し、選外佳作であった。
1978年7月発行。



神学生時代に執筆した「雲と信仰」(山村暮鳥論)。
クラスの文集であり、ガリ版印刷である。
1965年12月発行。



姉の闘病記「今日も一日生かされて」(姉・鈴木美喜子の証)
1998年6月に発行。