鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<152>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<152>
2013年2月27日「日々、日向ぼっこをしながら」


聖書の言葉
キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたがたの家にある教会へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
(フィレモンへの手紙1〜3節)



 六浦の家に移り住んでから約3年になる。この度、初めて近所の方の葬儀に臨む。我が家の前の家であるが、比較的最近に建てられた家である。わが家が7年前に造られたが、その頃はその辺りは家が造られてなく、空き地になっていた。その空き地から我が家の建築状況を写真に収めたものである。その後、その空き地に家が造られたが、なかなか入居される方がなかったようである。六浦の家は2006年3月に完成したが、その頃はまだ大塚平安教会在任中であり、転居出来なかった。2010年3月末に大塚平安教会を退任することで転居することになったのである。家を新築する前から、荷物を運んでいたが、新築と共にかなり運ぶことができた。だから、転居のときには、随分と引越し荷物が軽減出来ていたのである。ところで、前の家であるが、私達が転居する少し前に入居されたようである。




旧鈴木家。築60年以上を経ているので建て替える。



解体し、更地にする。


 六浦の家を新築したことについては、以前にも記したと思う。しかし、その頃は文章だけで写真の掲載はなかった。ブログに写真を添付するようになったのは2011年4月、5月「スペイン滞在記」からであった。その後、「隠退牧師の徒然記」にしても、「受難の門を見つめつつ」・バルセロナ滞在記にしても、そして現在の「隠退牧師の徒然記」はいずれも写真を紹介している。もっとも、2006年6月から書き始めたブログの最初の頃は写真を入れていた。その後は文章のみで続けていたのである。従って、2006年3月に完成した六浦の家についての記録は、どこかに記していると思うが、文章のみで写真の紹介はしていない。遅ればせながらいくつかの写真を紹介しておくことにしよう。もっとも、完成後の写真は紹介している。
 六浦の家は私が4歳の頃に造られたと思う。もともとは横須賀市浦郷にあった追浜飛行場の近くに住んでいたのである。戦争が激しくなり、飛行場付近は危険なので強制転居となり、今の住所に転居したのである。それは1943年のことであるから70年前になる。その家を解体して新しく建て替えることにしたのは2005年秋のことだから、築62年の家であった。もうかなり古い家となっており、以前より建て替えが課題となっていたのである。しかし、建て替えるとなれば、それなりの資金が必要であり、そこで立ち止まってしまうのである。2005年の秋頃、丁度羊子がスペインから一時帰国していた時であった。いつもは新聞のチラシをほとんど見ることもないのであるが、ふと目にした建築のチラシにくぎ付けになる。建築計画をするにしても、何とか出来そうな物件であったのである。そのことを連れ合いのスミさんや羊子に話すと、乗り気なのである。善は急げというわけで、大和にモデルハウスがあるので、見学方々相談に行ったのであった。実はこの家は借地であった。それが数年前に借地の再契約の時期となっていた。借地に関しては、父は契約者として父と私の名で30年前に契約していたのである。それは賢明な借地であった。父が亡くなっても、私の名前で契約してあるので、そのまま借地権があり、父が亡くなってから、毎年地代を支払いに行っていたのである。再契約にあたり、地主さんが再契約にするか、この際譲渡するか、あるいは半分にするか打診されたのである。土地を半分にすれば、支払いの義務はなく、自分のものになる。土地は65坪であるので、半分にしても良いのであるが、それでは随分と狭くなる。それで譲渡を受けることにしたのである。長年の借地権が半額の譲渡金で良いということであった。もちろん、それでも資金がないことは確かである。教会に相談して、退職金の前借りということで資金を融通したのである。土地が自分のものであるということが良い条件になる。土地を担保に融資を受けることができるからである。それも2006年からの借り入れはぎりぎりところであった。その時は65歳であり、それ以上の年齢では借り入れができないということであった。




建て前のとき。



完成間近のとき。


 こうして完成した六浦の家であるが、2006年3月に完成したものの、転居したのは2010年3月であった。それから3年になる。間もなく三月になろうとしているとき、今は三寒四温と言われ、三日寒ければ、四日は暖かく、こうして次第に春の陽射しになっていく。時には庭に出て、あるいは二階のベランダで春の陽射しをいただく喜びを得ている。絵になっている「老人と日向ぼっこ」のモデルになっているのである。